先日YouTubeを何気なく観ていたら、マジック(最近はイリュージョンとも言うが)のネタばらしの投稿に出合った。人体浮遊、美女の胴体切りなど、いくつものマジックの種が明かされ、マジックは奇術でも魔法でも何でもなく、トリック(騙し)の潜む単なる手品であることを改めて認識させられた。もっとも、手品といってもかなりの高度な習練が必要であることも充分承知した。
現実的に物事を考えると、具体的な形に表れないもの、表れても超常的に見えるもの、予言的・占い的なものは、すべて絡繰りがあって種明かし出来るものなのだと言い切れる。人間の心の弱さを突いて魔訶不思議である印象を与えるものであればあるほど、それは容易にその不思議さを信じ込ませやすく、精神的に不安定な時などにはそういう世界へ依存したくなってくる。マルクスが宗教はアヘンであると言ったように、宗教には特にそういう要素が必ず含まれている。
科学が進歩していなかった時代は、錬金術や不老長寿の薬、怪しい医術や呪術などが信じられていたが、今はもうそんな世の中ではなくなってきた。でも人間はそういったものを相変わらず懲りもしないで信用したがる。それは、心に弱い側面があることはなかなか治らないからである。いささか堂々巡り的になるが、信じるから心の弱さも維持されているところがある。これを克服するにはやはり無神論的な思考が大切であることを思い知る。
新型コロナウイルスの感染拡大によりいろいろなことが起きたが、今回のこの騒ぎで、結果的には分からないこと、予測できないこと、そういった科学的知見の限界性を改めて悟った感じがする。しかし科学は進歩する。こういった混乱、自然災害はまた必ず起きるだろう。100年前ならいざ知らず、そういったことに直面した時に変な宗教に走るような対応を安易にとることはもう出来ない。魔法なんてものは存在しない。種も仕掛けもある手品が存在するだけだ。しかし、その種と仕掛けが分からないもどかしさに我慢が出来ず、怪しげな思想やカルト宗教を信じてしまう輩も必ず出てくる。藁にも縋りたい気持ちも分からない訳ではないが、そうならないよういつも冷静になって精神的にもっとタフになりたいものだ。
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