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 学歴コンプレックスなどというが、そういったものは何歳になるまで自分の意識の中に置くのだろうか。少なくともいい年になり墓場が近くなった頃には、どうでもいい代物になるのがノーマルな考え方だろうか。
 名門高校を目指して中学生が勉強を頑張る。そしてそこに見事合格して今度は偏差値の高い大学への入学に向けてさらに勉強する。またも合格。受験について挫折の経験がない。これは結構な話しである。内心誇りに思うのは当然である。
 しかし社会人になると、次第にその誇りは萎れてくる。いや若い時分はどこそこの大学を出たということを強く意識するかもしれないが、そんな誇りは社会ではすぐに役立たなくなっていることに気がつく。世間の水はそれほど甘くない。少なくとも文芸やスポーツの世界は実力だけがものを言うところであろう。
 親の劣等感が子供への教育に投影されることがある。親が高卒だから、我が子はどうしても大学へ行ってもらいたい、大学卒のレッテルを張ってやりたい。一応は親心だから、子供もこれに応えて素直にそれに従うかもしれないが、ある日自分が本当にやりたいものに気づき、それが大学で学ぶこととは関係がないことで葛藤に陥る。こんな話しはよくある。これとは反対に実家が何代も続く何かの事業をやっていて、それを継ぐのが嫌なので親元を離れ遠くの大学へ入学してしまう。そして卒業しても故郷へ帰らずサラリーマンになったりするケースもある。しかしサラリーマンが性に合わず、結局はその会社勤めを辞めて実家へ戻り家業を受け継いだ、というような話しもよく耳にする。
 大学の学歴について、私がずっと記憶していることの一つに大学入試における出題ミスのニュースである。今から数年前、関西のいわゆる合格難易度が高い大学で出題ミスが起きた。某週刊誌によると、これが判明し本来合格だったのに誤って不合格になってしまった受験生たちへの救済措置が講じられた。既に1年近くが経過していた。
 その中のある一人は、東京の私立大学(これも偏差値がかなり高い)へ進学し、サークルにも入りながら楽しい大学生活を送っていた。ところがもう2年生に進級するような時期になって「入試問題にミスがあり実はあなた様は合格していました。もし入学し直せば、既に学んだ単位は認定します。学費も1年分は納入したとみなします」と、突如そう言われて当人はかなり困惑したらしい。すっかり忘れていたことをほじくり出されて、突然合格でしたと言われても、現在通っている大学で友達も出来ている。今更、移る気はないと考えたようだ。親をはじめとする周囲は、もったいない話しだから入り直せと説得したらしいが、最終的には当人の意思で断ったらしい。私は、名門大学のブランドを今更ながら拒否したその受験生の気持ちが大変よく分かった。
 入り直すかそうしないか。どちらを選んでもそれは運命になるだろう。ブランドに敢えてこだわらなかった選択が先々かえって幸いするように私には思えた。もちろんブランドにこだわる周囲の心情も分からなくはない。しかし後で振り返った時に、大学生活はブランドだけではないことにも気づくはすだ。
 さきほど話したように、出身大学に対する誇り(自慢)は若い時だけは賞味期限があるかもしれないが、齢を重ねるにつれ次第に薄れていき、死ぬ頃はどうでもいいことになっているのがオチである。長い人生の中で、たかが学歴を運命的に考え込むことは、己の可能性を信じようとしないことと同じである。冷静に考えれば誰でも分かる話しである。
 ちなみに大学入試の出題ミスというのは毎年どこかの大学で必ず発生し新聞沙汰になる恒例行事だが、大学というところは、リスク管理において常に自己保身に走りたがり、受験生への配慮があるように見えて実はそれほど親身にはなってくれていない。だから発覚してもなかなか認めたがらず、長い調査期間を経てようやっと公表する。4月、5月に判明してすばやく対応すれば、件の受験生だって入学し直したかもしれない。大学とは素晴らしいタテマエの裏にいざ不利となったら実にいやらしいところ見せる二重構造を例外なく有している。私も仕事でそういったことを経験しているのでそこら辺りの事情はよく承知している。

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