平成十二年 (2000年)
大山鳴動ネズミも出ずに辰の年
Y2K(2000問題)は、大きな混乱、問題もなく無事新年を迎える。
有楽町そごう、錦糸町そごうが閉店。
皮肉にもこの年、プロ野球巨人軍が、4年ぶりに背リーグ優勝を果たす。
また、日本進出を目指した、フランスの大型スーパーカルフールが苦戦。幕張店を閉店することに。
菌は死んでも 毒は消えない
雪印集団食中毒事件発覚。
生産工程における停電事故。その後復旧するが、温度管理がなされなかった原料を、高温殺菌するからと廃棄しなかったことから、すでに生成されていた毒素が、商品に混入したまま販売された。14,000人以上が被害にあう。
殺到する報道陣を前に
「そんなこと言ったってね、私は寝ていないだよ!」
という当時の社長の名言(迷言)が記憶に残る。
企業における不祥事対策マニュアルが、真剣に考えられるようになるきっかけとなった事件である。
どこで使おうか二千年の2,000円
2,000円札が発行される。自販機対応の問題、日常的な数字の、五と十から、引く・足すという無意識の暗算との相性の悪さから、かつて20ドル札を使い慣れていた、沖縄県以外では、日常普及には至らなかった。
結果、2003年に印刷中止となる。
紙幣としては現在も使えるが、自販機やATMがほぼ対応していないので、今後も出回る可能性は皆無だろう。
香淳皇后が、97歳で身罷られ、昭和が真に終わった印象を受ける。
年末には、世田谷一家殺害事件が発生。
20世紀の最後の年は、「暗雲」という言葉を励起させる風の中を、過ぎてゆくようなものであった。