去年の年末年始に娘家族が里帰りした際、私が朝食に作った味噌汁について、薄味だと娘からストレートなクレームがついた。食卓を一緒に囲んだ孫たちは気がつかなかったが、娘の婿さんも同感だったに違いない(おそらく私に遠慮して言わなかったのだろう)。
以前から高血圧の診断を受けて減塩に努めていたので、私にとっては当たり前の塩加減の味噌汁だった。自分で毎朝作る薄味の味噌汁にすっかり馴れてしまっていたのである。娘から改めてそう言われると確かにそのとおりである。翌日の朝から少し多めに味噌を入れるようにした。今年の年末年始は前回の轍を踏まないよう気をつけて、世間並みの濃さの味噌汁を娘家族に用意した。もちろんクレームはつかなかった。
何故こんな些細なことを書き始めたかというと、現役時代にマラソン仲間として付き合っていた同僚の話しをふと思い出したからである。彼の母親は60代で既に他界しており、その後父親は実家で一人暮らしを80代半ばまで頑張り続けて亡くなった。
その父親のことだが、70代後半になると、息子としてやはり心配になるのか、数十キロ離れた実家へ彼は小まめに帰っていた。元気なうちは孫になる娘を連れて行って喜ばせていたが、娘さんも思春期を迎えて大人へと近づいてくるとあまり行きたがらなくなり、生存確認みたく自分一人だけで実家へ向かうようになってきた。妹さんが東京に暮らしていて、二人で帰って家族三人の顔が揃うこともあったという。
10数年前のある時、妹さんと同じ日に帰った。一晩泊った朝、父親が用意した味噌汁がやけに薄味だったという。妹さんも同じ感想だった。父親にそのことを食事中に話してみると、父親曰く、80歳を過ぎて血圧が高いことが判明したので減塩するためにそうしていると答えたそうである。そんな歳になっても健康のために味噌汁の塩分濃度を気にすることに驚いたと、何かの時に彼はしみじみ話してくれたことがあった。その話題が私の記憶の隅に何故かずっと残っていて、自分の娘からの全く同じクレームを受け、急に思い起こされたのである。
老いの一人暮らしとは、例えば薄味の味噌汁に象徴されるようなものだと今の私は考えている。好きなように三度の食事を作って味わう。健康的に暮らそうと心がければ、腹八分や減塩などを自ずと気にするようになる。そういう一人気ままなライフスタイルが次第に整ってくると、他人から何か言われることなく、それが当然のものだと認識してくる。何事も自分次第で決められるのだから、悠々自適と言えば、ある意味でそういう面もあるだろう。
だから偶に家族と食事などをすると、味噌汁の濃い薄いを指摘されて改めて(世間の常識や感覚とかけ離れた)その事実に気づかされることとなる。衣食住のすべてが自分の思うとおりに進行し、自分にとって普通で当たり前のことだけが日常として繰り返されている。一人しかいない家の中のことが自分だけを中心に回っている。自分のライフスタイルに世間と乖離したものがあったとしても、誰か他人が来訪してそのことを指摘されるまではなかなか気づかない。気づこうとしない。
同僚の父親の元気だった頃の暮らし方と今の私の日常が図らずも重ね合わされたようで、妙な気持ちになった。味噌汁の味一つで少しずつ老境に近づいていることを思い知った。
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