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去る五月五日、父が亡くなりました。昭和五年生まれ、享年92。

父は15才中学卒業まで日本統治時代でした。空襲から逃れるのが日課でした。戦後、台南第一中学、台湾大学を卒業し、難関の公務員試験をパスして、外交部(外務省)に就職しました。

父は1970年代、80年代、90年代延べ3回日本に赴任しました。70年代は国連の中華民国追放、日本との断交、米国との断交など、台湾外交上一番苦しかった時代。80年代は台湾高度成長期で、日本の対台投資誘致、対台観光、双方の貿易強化の時代。そして90年代、日本は中華民国のパスポートを承認、ビザの緩和措置などを施行、日台の往来が一層活況になり、日本も台湾人にとって一番好きな観光国となりました。

父は台北駐日経済文化代表処副代表(副大使)まで務め、70歳で定年を迎え、日台の交流深化のために一生尽くしました。定年後、父の趣味はゴルフ、もう一つは日本一人旅、行き先は当然秘密。

父が酒飲むと初めて訪日したエピソードを話してくれます。東京でタクシーに乗って「キュウジョウまで」と言ったが、着いたのは後楽園球場でした。父が行きたかったのは宮城、中学まで宮城遥拝された皇居だった。

父は小生に対して躾は厳しかった。日本語の基礎を叩き込んだのも父でした。小生が早期退職した際、「早大卒、みずほ銀行台北支店27年勤務の経歴を生かし、世のため人のため、経済コラムニストでもなりなさい!」と、アドバイスしてくれました。

ところが、小生が「世のため人のため……?!…」として選んだのは川柳や俳句のお手伝いでした。この件、とうとう父に明かすことはありませんでした。今頃、天国で顰めているかも知れません。だから、せめて………遺影は「笑い顔」。

8月7日、父の骨壷を台北から台南の墓地に移しました。父との最後の旅行なので踏ん張って新幹線ビジネスクラスの切符を買いました。

骨壷とビジネスクラス爸爸節

※爸爸節=八月八日、台湾の父の日。
八八の中国語発音がパパに似ていることから…………

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生ビール厳父の遺影笑い顔”にコメントをどうぞ

  1. 江畑 哲男 on 2022年8月22日 at 8:14 AM :

    杜青春様
    お父様のご逝去、心からお悔やみ申し上げます。
    そうですか。昭和5年生まれ、でしたか。日本語世代ですね。
    UPされたエピソードに泣けてまいります。
    台湾新幹線も懐かしい!
    看病、介護とお疲れさまでした。

    • 杜青春 on 2022年8月22日 at 5:05 PM :

      江畑先生
      お悔やみの言葉、痛み入ります。
      今度、宮城(キュウジョウ)なぜ死語になったのか、教えてくださいね。
      杜青春

  2. 上野楽生 on 2022年8月28日 at 12:17 PM :

    御尊父様の御逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
    お父様の祖国への素晴らしいご業績に感服致しました。
    私も乗車した台湾新幹線、乗り心地もサービスも素晴らしかったです。
    青春さんの俳句、短歌、川柳への貢献は、お父様にも自慢できるものだと思います。
    10月30日国文祭沖縄大会でお会いできることを楽しみにしています。

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