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吉川英治―「宮本武蔵」の国民文学作家は川柳家・雉子郎から始まった~川柳作家「吉川雉子郎」というもう一つの顔~
『宮本武蔵』『三国志』『新・平家物語』など、日本文学史に残る数々の大作を書いた吉川英治。その名を知らない人は少ないでしょう。しかし、吉川英治が小説家として世に出る前、「吉川雉子郎(よしかわ・きじろう)」の名で川柳に打ち込んでいたことは、意外に知られていません。私たち川柳愛好家にとって、吉川英治は単なる歴史小説の大家ではなく、その文学の出発点の一つに川柳があったという、たいへん興味深い作家です。
苦労の中から文学へ
吉川英治は1892(明治25)年8月11日、現在の横浜市に生まれました。本名は吉川英次です。少年時代に家運が傾いたため小学校を中退し、その後は印章店、工場、横浜ドックの船具工など、さまざまな仕事を経験しました。恵まれた文学青年として歩み始めたわけではありません。生活の苦労を知り、働く人々の中で育ったことが、後年の作品に見られる庶民への温かなまなざしにつながっていったのでしょう。1910(明治43)年に上京し、翌年には蒔絵師のもとで徒弟生活を送ります。そして、このころから川柳の世界へ入っていきます。
「雉子郎」と名乗った青年時代
若き吉川英治は「雉子郎」(きじろう)を号として川柳を作りました。『大正川柳』の同人となり、川柳界で活動しています。当時の新川柳運動を代表する川柳家の一人、井上剣花坊らとも交流し、川柳を通して人間や社会を見る目を磨いていきました。1914(大正3)年には、三越が行った文芸募集の川柳部門で一等に当選しています。つまり吉川英治にとって川柳は、小説家になる前のちょっとした余技ではありませんでした。文学を志した青年期に本格的に取り組み、評価も受けた重要な文芸活動だったのです。川柳は短い十七音の中で、人間の喜怒哀楽や世相を切り取ります。後年の吉川文学には、武将や剣豪といった歴史上の人物を描きながら、その背後にいる庶民の生活や人間臭さを生き生きと描く特徴があります。そこには、青年時代に川柳によって培った「人間を見る目」も、何らかの形で生きているように感じられます。
小説家・吉川英治の誕生
川柳と並行して小説にも挑戦していた吉川英治は、1914年、講談社の懸賞小説に応募した『江の島物語』が一等に当選します。1921(大正10)年には講談社の懸賞小説に三作品が入選し、その年の暮れに東京毎夕新聞社へ入社しました。翌年には社命によって新聞小説『親鸞記』を執筆します。1923(大正12)年の関東大震災を経験した後、本格的に文学の道へ進む決意を固めました。そして1925(大正14)年から発表した『剣難女難』、続く『鳴門秘帖』などによって人気作家としての地位を築いていきます。
『宮本武蔵』で国民的作家へ
吉川英治の名を決定的なものにした代表作が『宮本武蔵』です。1935(昭和10)年から新聞連載が始まったこの作品で、吉川英治は宮本武蔵を単なる無敵の剣豪としてではなく、迷い、苦しみながら人間として成長していく「求道者」として描きました。剣の強さだけではなく、人間はいかに生きるべきかという問題を物語の中心に据えたところに、吉川版『宮本武蔵』の大きな魅力があります。その後も、中国の『三国志演義』などをもとに独自の物語世界を構築した『三国志』、豊臣秀吉の生涯を描いた『新書太閤記』など、歴史を題材にした大作を次々と発表しました。
戦後の大作『新・平家物語』
戦後を代表する作品が『新・平家物語』です。従来の「源氏対平家」という単純な善悪の図式にとどまらず、平家の人々もまた時代の中で生きた人間として描き直しました。この作品によって1953(昭和28)年に菊池寛賞、1955(昭和30)年に朝日文化賞を受賞しています。晩年には南北朝時代を題材とした大作『私本太平記』を完成させました。吉川英治の著作は200作を超え、幅広い読者に親しまれたことから、やがて「国民文学作家」と呼ばれるようになりました。
文学界に残した大きな功績
吉川英治の最大の功績は、歴史上の人物を教科書の中の存在ではなく、悩み、怒り、愛し、挫折しながら生きる一人の人間として読者の前によみがえらせたことにあります。難解になりがちな歴史を壮大な物語として描き、多くの一般読者を歴史文学の世界へ導きました。また、いわゆる「大衆文学」の社会的、文学的な評価を高めた作家の一人でもあります。1960(昭和35)年には、その長年の文学的功績によって文化勲章を受章しました。吉川英治は1962(昭和37)年9月7日、70歳で亡くなりました。没後もその功績を記念して吉川英治文学賞などが設けられ、その名は現在まで受け継がれています。
川柳が育てた「人間を見る目」
川柳愛好家として吉川英治の生涯を振り返ると、やはり注目したいのは川柳作家としての「吉川雉子郎」の存在です。川柳とは、人間を詠む文芸です。人間の弱さ、おかしさ、悲しさ、欲望、愛情――そうしたものをわずか十七音で捉えます。吉川英治が後に『宮本武蔵』や『新・平家物語』で描いたものも、突き詰めれば「人間」でした。歴史上の英雄を神格化するのではなく、その迷いや弱さまで描いたところに吉川文学の魅力があります。青年・吉川雉子郎が川柳を作りながら身につけた人間観察の眼差しは、やがて小説家・吉川英治の壮大な物語世界へとつながっていった、と見ることもできるでしょう。
「我以外皆我師」
吉川英治の言葉として広く知られているのが、「我以外皆我師」です。自分以外のすべての人、すべての出来事から学ぶことができるという意味に受け取れる言葉です。そして、この精神は川柳にも通じます。電車の中の会話、商店街の風景、夫婦のやり取り、子どもの一言、老いの日常など、身の回りのすべてが川柳の師となり、句材となります。
国民文学作家・吉川英治の原点の一つに、川柳家・吉川雉子郎がいた。
この事実を知ると、『宮本武蔵』をはじめとする吉川文学が、私たち川柳愛好家には少し身近なものに感じられるのではないでしょうか。十七音で人間を見つめた青年・雉子郎。その眼差しはやがて、何千枚もの原稿用紙に人間の生き方を描く国民文学作家・吉川英治へと大きく育っていったのです。
柳山
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