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 私の両親はいつも孫の手を愛用していた。父親は茶の間のテーブルに常備していて、母親は寝床に置いていた。私が子供の頃は、父や母の背中が痒いというと、首の後ろから手を突っ込んで背中を搔いてやったこともあった。
 実は私も昨年65歳になって、冬場に背中の痒みに襲われることがしばしば起きた。最初は物差しで搔いていたがどうもしっくりこない。戸棚を探してみると、いろいろな所で粗品にもらった竹細工で出来た孫の手が3本出てきた(下の写真参照)。1本を取り出して使うと誠に気持ちがいい。あまりの気持ちの良さに、寝床と茶の間とパソコン部屋に置いておくことにした。3箇所に置いておけば、背中が痒くなったらいつでも手軽に搔くことができる。


 どうも背中を搔くこと、それも孫の手というツールを使って搔くとその快感が倍加するように感じられるのである。手の爪先で直に搔くのでは得られない格別の快感に襲われる。これを覚えたら癖になってしまう。
 「痒い所に手が届く」という慣用表現があるが、痒い所には手が届かなくても孫の手があるから大丈夫。いやいや手が届いて爪先で搔いたり搔いてもらったりするよりも、敢えて孫の手を使って自分で搔いた方がずっと気持ちいい。リモートによる快感が堪らないのである。
 そこに孫の手があるから背中を搔きたくなる。大袈裟だかそんな感じにもなってくるのである。
 外出している時、家の中にいても人と会っている時などには背中の痒みはなかなか感じない。一人なると、例えば寝ている時などに無性に痒くなるようである。
 痒みは痛みの一歩手前の症状だと言われているが、それは俗説で痒みと痛みのスイッチは別々にあるらしい。しかしそんな学術的な話しより、そこに孫の手があると背中が痒み出して搔き始めるということには心理的な法則性があるような気がしている。少なくとも私には…。

  孫の手のリモート感が堪らない   博史

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