8月15日(金)の読売新聞朝刊(東京本社版)に「The 論点『町内会岐路 どうする?』」という記事が載っていた。防災・防犯活動の観点からも町内会の果たす役割は今も大きいと書かれていて、スマホなどを活用して情報提供や連絡調整を行っている例が紹介されていた。他方で、役員の役割負担の重さから解散した例もあるという。
実は私も定年を迎えてフリーになったことから、自分が住んでいる町内会の会長を1年間任されたことがある。大きな行事もなく会長として汗をかかねばならないことはそれほど多くないのだが、70世帯ほどの小さな町内会なので、積極的に三役(会長・副会長・会計)になろうとする者がなかな出てこない。いろいろ議論があって、各班の輪番で1年交代の役員体制を組むことになった。私の属する班がたまたま三役を引き受けなければならない年度に当たったので、1年ぐらいならとリタイアした私が引き受けることになったのである。
公民館の修繕など、問題が先送りしていた案件を処理したり、町から補助金が出る事業を継続して行ったりと、それなりに頑張ったつもりである。そんな中で、些細なことで気になっていたことがあった。
公民館の壁の隅に、この町内会が設立されたのは昭和15年3月14日と書かれた紙が貼られてあったのである。日中戦争から太平洋戦争へと戦時色が濃くなっていく激動の時期に我が町内会は誕生した訳である。このことが自分なりにずうっと気になっていた。当時は田んぼや畑がいくつもあっただろう。今は家庭菜園程度のものしかない。商店街は寂れて世帯数も減り、アパートだけはいくつも建っている。
町内会の区域は町名番地表示とは関係がない。適当な線引きで区切られている。もともとの町名は大字○○という一つの名称で、隣接する町内会をいくつも合せた大きな区域で括られていた。町内会の名前はあくまでも俗称である。だが町としてはそういう町内会を行政単位に準じたものとして認めて扱い、地域のために活用している。町内会対抗の学童野球とか運動会とか、少なくとも昭和や平成初期の頃までは盛んに行われていた。
さて新聞記事の話題に戻ると、文章の最後のところで町内会が制度化された経緯が説明されていた。起源は諸説あるようだが、大正12年(1923年)の関東大震災が契機となり、各地に結成された自警団が町内会へと発展したようである。その後、昭和15年(1940年)の内務省の訓令で全国的に整備され、戦時体制を支える組織として重要視されたという。
これを読んで、我が町内会の設立の経緯は社会の変化、国の施策に則っていたことが判明した次第である。私の些細な謎解きは点と点が繋がってめでたくこれで終了した。なお今では、町内会とは言わず自治会と呼ぶのが一般的になってきている。
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