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 私が小学生だったのは昭和30年代後半から40年代前半だった(昭和38年4月入学・44年3月卒業)。毎週月曜の朝には校庭で朝礼があった。いつも校長先生が何かを話していた。大方の児童は校長の話しなどあまり聞いていない。いくら児童たちを褒めるような、あるいは励ますようなことを言われても、聞く方の心にはすんなり響かない。そんなことより、早く終わらないかなぁと、いつも思うばかりである。辛抱の足りない私は特にそうだった。
 どちらかというと担任の先生の方がよく耳を傾けている。校長先生は自分の上司であるので、きちんと聞いておかないと、後々何かで不都合なことが起こりかねない。学校の先生も組織の中で働く所詮サラリーマン的なところがある訳である。何年も経ってから自分も社会人になり、ふとそんなことに気がついた。
 さて、私が通っていた当時の小学校は児童数が6学年で900名を超えていたことを記憶している。これだけの数が整列して校庭に立っている。貧血を起こして倒れる児童も偶にいた。正確には起立性低血圧と呼ぶらしいが、6歳から12歳までの子供がこれだけの人数で集まっていると、1人や2人そうなっても仕方がない。
 しかし、夏休みが近づく7月になると暑さも厳しくなってくる。午前中でも気温30℃近くになったり、これを超えたりする日も出てくる。そんな天気の時に朝礼をやると、倒れる児童は必ず出てくる。直射日光に当たり続けてバタバタと倒れ、担任の先生に抱えられて保健室へ連れて行かれる。これが毎年夏場の恒例となる。
 それでもこの朝礼のやり方を見直そうということにはならなかった。少なくとも私が卒業するまでは変わらなかった。今振り返って思うことは、当時の校長や教頭クラスの先生は明治や大正生まれだったろう。担任の先生は昭和1ケタ生まれが多かったか。いずれにせよ、明治・大正生まれはもろに戦争経験者である。出征したり空襲に遭ったり、あるいは食糧難に苦しんだりしたことだろう。児童は戦後復興から高度成長の時期に生まれ育っている。やはり世代間のギャップがある。温和な顔のお爺ちゃんみたいな校長先生も、戦前戦中に、貧血程度で倒れても大したことではないという考え方によって厳しく育てられたのではないか。だから朝礼の変更はなかったのだろう。これはあくまでも私の推測である。
 夏の暑さについて言えば、当時は熱中症とは言わず日射病と呼んでいた。日射病になるから帽子を被るようにと、先生からよく注意されたものだった。2000年頃から熱中症に呼び名が変わった。野外だけでなく家に居ても同じ症状が出るからそうなったのだろうが、「熱中」と言えば水谷豊が主演したテレビドラマ「熱中時代」の印象が、少なくとも私の世代には強く残っている。何事も熱中することはいいことなのである。当初はこの新しい呼び方に私は違和感を持っていた。だからあまり口にしなかった。
 話題はがらりと変わるが、私が入学した1、2年生の頃の土曜日の授業は、平日の午前と同じく4時限まであった記憶が朧げにある。私の思い違いである可能性も大いにあるが、その後3時限に減らされたと思う。土曜日に4時限まで授業を受ければ、その後に教室や校庭を清掃して家に帰ると午後1時を過ぎていたのではないか。さすがにこれでは児童が空腹で可哀そうだと判断されて、当時の文部省の学習指導要領が改定されたのかもしれない。これはあくまでも私の勝手な推測である。全く間違えているかもしれない。ゆとり教育などということが一時期叫ばれて賛否両論的な雰囲気になったことがあったが、いずれにせよ、少しずつゆとりのあるやり方に向かっているのは、働き方改革だけでなく教育現場も同じであろう。

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