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 最高気温が35℃以上となる日をさす猛暑日が、気象庁の正式な予報用語となったのは2007年からである。振り返ってみると、50年近く前、東京で暮らした4畳半の下宿生活でも物凄い暑さの中で夏休みを送っていた。しかし、その頃の暑さは30℃代前半が精々だったような気がする。体温を超えるような異常高温は昭和時代にはあまりなかったのではないか。2023年8月12日に「家の風通し」のことを記したが、暑さについてさらに踏み込んだ話題を述べてみたい。
 毎日のニュースで猛暑のことが報道され、暑さに飼い馴らされた感じもしてきたが、最高気温が30℃以上をさす真夏日と猛暑日とでは暑さの感覚がかなり異なる。うだるような暑さという言い方があるが、体温並みの暑さは、うだるどころか日差しが肌に突き刺さるような痛みを伴う。ネットの天気予報は小まめにスマホを開いて確認しているが、猛暑日になるだろうという予報を知ると、それだけで朝から身構えている自分に気づく。客観的な温度変化から体感で暑いと感じるというより、35℃を超えるという情報を入手した時点で心理的に暑さと対峙しているのである。
 そんな毎日を今夏も過ごしているのだが、半分余生を送っているような我が身を少し冷ややかに観察してみると、現役を退いた60歳の頃より夏の暑さを素直に受け入れようとしているようである。実は猛暑日でも木陰のサイクリングや散歩は日課として続けている。当たり前だが、そういったことをしながらも水分補給などの体調管理は怠っていない。しかし老いるとは、そのプロセスを少しずつ自覚して受け入れていくことでもある。この受け入れることの中に、夏の暑さへの耐え方の変化も含まれている気がしてきたのである。
 齢を重ねると頑固になったり、わがままになったりする。その反面いろいろなことで妥協することも増えてくる。地球温暖化の進行を嘆いても、老い先が見えた自分との関係性は少しずつ希薄になってくる(そうは思わない例外もいるだろうが)。毎日話題にされる暑さもこんなものかと観念すれば、猛暑日も熱帯夜もそんなものかと思えてくる。
 かつては暑い日の外出から帰って来ると、急いで窓を開けて冷たい飲み物を欲しがったものだが、今は慌てず騒がず落ち着いた行動をとるようになった。猛暑になった日の夜は冷たいビールを飲むに限る、なんてこともパブロフの条件反射みたいに実行していたものだったが、別にビールを飲んでも飲まなくても何とか暑さは凌げるものであることも判った。
 熱中症で救急搬送された方の数がニュースで報じられる。若い世代は暑い中無理した行動をとったからそのようになったのだろう。80代、90代の方がそうなったのは、別に無理した、我慢したということではなく、暑さを受け入れながら、大袈裟に言えば従容とした態度で日々暮らしながら結果的にそうなってしまったのではないかと想像してしまう。体調管理が足りなかったと言えばそれまでの話しになるが、救急車を呼ぶ騒ぎを起こしながらも、案外冷静なところが当人にはあったのではないか。ここに、高齢者になることはまだ先のことであり、暑さ寒さに対して観念することを知らない若い世代との感覚のズレがあると私は考える。
 高齢者になると暑さを受け入れる耐性が生まれ育っている。暑さに対する感覚が加齢により鈍くなってきた、などとは言いたくない(医学的にはそうであるらしいが)。そうなってくると、オモチャみたいなハンディファンを片手に街を歩くような一時しのぎの行動はとらない。暑さというものに対して、いくら敵対的になってその対策を講じようとしても、なおさら暑くなるだけだという諦観に近い認識を持っているからであろう。

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