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 血糖値が少し高いので(正確にはHbA1cの数値だが)、糖分の摂取量をなるべく減らすために毎日豆腐を食べている。スーパーで豆腐を何パックも買い込み、お昼にいつも半丁ほどを食べている。豆腐もピンきりで値段もいろいろである。毎日食べるので安い物や値引商品を選ぶようになった。
 いくつかのスーパーを利用しているが、某大手豆腐メーカーのポピュラーな400gのものに一番の値頃感を感じる。どのスーパーへ行っても陳列棚に大体置いてある。そしてある時にふと気がついた。スーパー毎に容器のラベルが微妙に違っているのである。もちろん価格も区々である。例えば、1パック68円、78円、88円というような感じである。でもスタンダードなものなので中身は全く同じだと思う。味も変わらないので、そのように断言できる。ならばラベルも同じデザインに統一したらよかろうと思うのだが、なぜわざわざラベルだけ差別化を図っているのか。
 うーん、こういうトリビアルなことを真剣に考え始めるのが私の性癖である。私なりの結論はこうである。
 一つの街にいくつものスーパーがあって、同一メーカーの値段の安い同じような売れ筋の豆腐が並べられている。しかしスーパーの利益と採算の考え方によって、いくらかの価格設定の違いはある。例えば他所で68円で売られていても、うちではその値段では儲けが出ないので78円にする。そんなやり方になっているのではないか。値段が違うのに一目で同じものと判る商品を陳列するのもまずかろう。消費者にすれば、たかが豆腐1丁程度でも全く同じものを高く売るスーパーの印象は悪くなる。客は少しでも安いスーパーへ足が向かうものなのである。
 メーカー側もそこら辺を考慮してラベルのバリエーションを設定し、同一商品が違う価格で売られることをなるべく避けようと、ラベルだけの差別化を図ったのではないか。卸価格ももちろん異なるだろう。取引き数量が多ければ安くなっているはずだ。たかがラベルのことではあるが、巧妙な販売戦略だろう。あえてステマとは言うまい。
 そして、さらに食パン販売にも似たようなことが起きていることに気がついた。どこのスーパーでも売られている1斤の食パンはいろいろな種類があるが、豆腐と同じように一番安くてよく売れるスタンダードなものが必ず置いてある。そして大体は大手メーカーの数社いずれかのものに独占され、競合他社のものが並べられることはない。この食パンでも同じものが包装によって差別化が図られ、豆腐と同じようにスーパー毎に異なるもっともらしいネーミングの商品になっている。豆腐と全く同じ販売戦略だと考えられるだろう。豆腐と食パンに見られるこの現象は私の住んでいる町だけでなく、全国的なものなのではないかと推測している。
 以上、どうでもいいようなことについて私なりのどうでもいい推理を働かせたのだが、ここに来て一つ唐突に思い出したことがある。伊東正義という昭和・平成に活躍した政治家(福島県出身、自民党衆議院議員で外相・副総理などを歴任)である。リクルート事件で退陣を余儀なくされた竹下登首相の後継者として推されたが「本の表紙を変えても、中身を変えなければ駄目だ」と就任を頑なに固辞したことが話題になった。金権政治には無縁なクリーンさで今でも語り草になっている。
 豆腐や食パンと伊東正義とは何も関係性はないが、今の世の中はラベル社会だなあとしみじみ感じる。中身よりラベルを見て信用するかどうかを判断する。とりあえず洒落たラベルには信頼性を置く。そしてラベルイコールブランドにつながる。これはまずくはないが、中身で勝負して欲しいと思うことがある。中身が良ければいつかはそれが評価されるという、昭和的な(?)道徳観念が今では廃れてきている。SNSで拡散される単純化された評判なども怪しいラベルみたいなものであろう。
 内閣も総理大臣が替われば、取り敢えずはいい数字の支持率(ご祝儀相場?)となる。そういう現象が当たり前なのが日本の政治だから、明治18年(1885年)に内閣制度が出来て以来140年、歴代の総理大臣は現在103代となり、重複があるにせよ1~2年程度でラベル(表紙)が替わる訳である。日本社会にはそういうラベル政治の伝統がありそうである。

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