Loading...Loading...

 私立大学の約6割、私立短大の約9割が定員割れに陥っているというメディアの報道があった。既に統廃合などの事例がいくつも起きている。法人化されて久しい国公立大学でも他人事ではなくなってきている。人口減少、少子化傾向が続く中、特に地方の大学では学生確保が経営に直結する重要課題である。とにかく若者に入学してもらわないと困る訳である。
 私は現役の大学事務員時代、大学設置や学部増設の認可申請事務を2回経験している。一つは昭和の終わり頃で、第二次ベビーブーム世代が18歳を迎えていた。だから受験生も増加していて、およそ大学が潰れるようなケースはほとんどなかった。あったとしても、それは経営陣の不祥事などによるものだった。当時の文部省の姿勢は、乱立されると困るということで認可に対して抑制的だった。
 二つ目は平成10年代前半の頃で、少子化傾向が顕著になり始め、ゆくゆくは大学倒産時代が来るだろうと教育界では予告されていた。既に地方の私立短大は定員割れの事態がかなり増えてきて、生き残るために4年制大学へ移行する事例が毎年のようにあった。予備校や学習塾が公表する偏差値に基づいた入試難易度調査でFランク(難易度が不明)という言葉が生まれたのはこの頃だったと記憶している。文部科学省は、少子化なのだから大学はあまり増やさず、短期大学から4年制大学への改組転換なら認めてやるというような姿勢だった。
 職場で2度目の認可申請事務を担当しながら、他大学の状況のことも調べて分かったことを今でもはっきり記憶している。当時既に個々の大学の現況を知らせる情報公開という考え方がある程度が浸透していて、入試関係の実施状況がデータとしてHPなどに載せられていた。これは法令に基づいてそうしなければならない義務みたいなものなのだが、結構怪しいやり方で公開している大学がいくつもあったのである。
 国公立大学は統一された様式に基づいて、志願者数・補欠繰り上げを含めた合格者数・入学者数・合格しても入学しない辞退者数、学力試験の平均点・最高点・合格最低点などを正確に公表している。運営経費の多くが学生納付金より税金で賄われているので、当たり前のことだが正直にすべてを見せていて透明度が高い。ところが私立大学となると、これが巧妙なやり方でぼかしている大学が実に多いのである。
 Fランクの大学は、学生確保のために追加穴埋めみたいな入試を何度も繰り返し行う。そして、それぞれの入試の実施状況が個別にきちんと公表されているかというと、その実態は曖昧に表記されている。要するに、1回目の合格者のかなりの割合が入学を辞退し、2回目、3回目をやればほぼ全員合格するような実態をあまり見せたくない、見られたくないので、うまくオブラートに包んだ数字が公開されていたのである。もちろん、みっともないように思われる合格最低点などのデータも公表していない。
 その後、学生募集・入学者確保に係る個々の大学の情報公開は改善されたのだろうか。文部科学省のきちんとした指導がなされて、入試結果を包み隠さず見せることが望ましいのは当然である。入試に関する個々のデータというものは、社会でまだ揉まれていない18歳の受験生が志望校を選択する際の重要な判断材料なのである。受け入れようとする大学にとって恥部を曝け出すようなことであっても、それは致し方ない。うーん、多分状況は今もあまり変わっていないのではないかと思う(ネットで調べればすぐに判ることだけど)。
 大学の教学、経営を評価したり審査する公的な機関がいくつもあるが、大方の大学は適切であるという合格のお墨付きをもらえる。それがもらえないような大学は、すでに相当ヤバいのではないかとささやかれているケースがほとんどである。これは企業の格付けと同じで、デフォルトに陥るような会社は、そのように格付される前から既にもう潰れるだろうと噂が広まっている訳である。デフォルトの判定は事後処理的なものと言える。
 大学経営のあまり芳しくない実態はそのまま最悪の結果を予期させる。公的な機関による評価も審査もさほど予防的な効果はない。八方ふさがりの手遅れにならないためには、早目の店じまいをすればその後の混乱を最小限に抑えることができるだろう。しかし儲からなければあっさり手を引く営利企業とは異なって教育とは公益性が高いので、しぶとく生き残ろうとぐずぐず決断を遅らせる大学も多い。往生際が悪く、これが裏目に出てあっさり身売りされるケースも出てくる。
 終戦直後の社会が混乱していた時代の大学入試はかなり酷かったらしい。答案用紙に受験番号と名前だけを書けば合格したという大学がいくつもあったとか。入学してからほとんど授業など受けなくても単位が取れて卒業できたとか。そんな与太話みたいなものが今でも語り継がれている。大学全入時代の今の大学生も質の低下が問題化されて久しい。いや問題が常態化して話題にもならなくなったようである。
 大学ホームページを開くと、どこの大学でもキャッチ―な呼び込みフレーズ、高邁な教育理念やカリキュラムの特徴などの大層な能書きがもっともらしくトップページに謳われているが、タテマエだけで学校経営はできない。財政的な裏付け、それを支える学生の確保がすべての前提となる。少子化傾向が好転する訳ではない。大学の淘汰は毎年行われる日常茶飯の話題になるだろう。大学を設立すれば地域の活性化につながるという考え方の時代も既に終わっている。2050年頃の日本の大学教育はどうなっているのだろう。それでも学歴信仰がしぶとく残っているのだろうか。

ポストする LINEで送る ブックマーク
❤️ ひざポン
ありがとう!

気軽にポチっと
どうぞ(無記名)

コメントはこちらから

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Post Navigation

Copyright All rights reserved. SHINYOKAN PUBLISHING illustration by Nakaoka.K