昨年7月24日のブログ「道のりは長い」で、句集上梓のために今まで捨てずに保存してきたすべての柳誌を引っ張り出してきたことを書き記した。そして11月9日のブログ「秋の愁いと憂い 」で、いよいよ編集のために自作の入力作業が始まったことを報告した。
梅雨がまだ明けぬ7月初旬に、2穴パンチしてまとめていた柳誌のファイルをとりあえず一箇所にまとめて積み上げた。猛暑が過ぎた10月初旬からようやく開始した入力作業は12月下旬に一通り終了した。柳誌はファイルにして100以上、冊数にして1,000以上になる。入力した句数もおそらく8,000句は超えるだろうか。正確な数字は出稿段階に近づいたら改めて確認する予定である。その時期は出稿後の多分春頃になると思う。
柳誌から掲載されている自作を拾い出して入力する作業は、日々黙々と、そして淡々と進めた。堆(うずたか)いファイルの山が少しずつ削り取られるように減っていく。パソコンに向き合う作業は大変だったが、小気味よく捗ると気分がよくなることもあった。
さて年が明けて、いよいよ選句作業が始まる。どれくらいの数まで絞り込んでいくか。プリントした全データとのにらめっこである。これにも悩ましい時間を要するだろう。でも苦労したことは後々出来上がってからの快感につながっていく。時間はたっぷりある。慌てずに進めていきたい。
ところが、悲しい出来事が一つ起きた。12月中旬、全体の7~8割が捗った頃のことである。
柳誌を束ねたファイルはかなり埃っぽいので、六畳間の部屋にブルーシートを敷き、そこに平積みして並べていた。作業が進んでファイルがかなり片付いてきたある日のことである。何気なくシートを捲ってみたら、なっ、なんと畳が2枚、虫に数箇所食われていたのである。ぐぁーん、である。
ある程度の大きさの虫だろう。既に飛び立ってしまっていたが、多分蛾の成虫になったと思う。もうそこには微塵もその影はない。正体不明の犯人(?)にやられた。うーん、どうしようか。家に透明なガムテープがあるので、とりあえず食われた箇所の応急処置は可能である。畳屋に来てもらって補修するとそこそこの代金は取られることだろう。いずれは関西へ引っ越すことを考えているので、家のことで今更修繕費を出すことはあまりしたくない。処分する家と分かっているのにわざわざおカネをかけるなんて…。ケチくさいと言われるかもしれないが、やはりそれはできない。
我が家の畳は、平成22年1月に親父が亡くなって、その年の夏、一階にある和室3室すべての畳表を張り替えている。老母が決めたことだった。経年劣化は私も承知していたが、当時の老母に何か気持ちの切り替え、心境の変化があったのかもしれない。他にも破損している壁紙を修繕したり、障子を張り替えたりと家の内装のリフォームを一気にしていた。障子の張り替え仕事だけは私が自分でやった記憶がある。
畳表の張り替え費用はいくらかかったのだろう。老母が支払ったはずだ。うーん、それから14年が経つ。全く申し訳ないことをしてしまった。私の不注意、不始末である。あの世で老母は「まったく博史は何をやっているんだ!」と怒っているだろうか。がっかりしているかもしれない。
厚さが5cm程度のファイルは30数年間でどんどん溜まっていき、家の中のあちこちに置いて場所を取っていた。生前老母は家の中の邪魔になるから処分するよう、折にふれ繰り返し私に命じていた。しかし私はそれを無視し続けた。最後は老母も諦めたようだった(と思う)。
処分を免れたから、今回の句集上梓の企画が出てきた訳である。でも畳は虫に食われてしまった。ちょっとだけ複雑な気持ち、ため息も出てくる。
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