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 平均寿命(学術用語としては「平均余命」が正しいのだろうが、巷間使われる言葉はこちらの方が一般的だと思う)が延びて、人生100年時代などと言われて久しい。毎日、朝刊の訃報欄を読みながら、100歳で天寿を全うした人はまだ少ないが、90代で亡くなる方はかなり多いという印象を持つ。
 平均寿命の年毎の推移は折れ線グラフでその延び方を示すことができるだろうが、この右肩上がりの曲がり具合は一国の経済成長の伸び率のような錯覚を起こさせる。この先自分が死ぬ頃の平均寿命は更に延びているのではないだろうかと思えてくる。
 延命措置などという言葉があるように、命や寿命は「延びる」と書くのが一般的である。国の経済成長は「伸びる」と表記する。「延びる」と「伸びる」の違いは、前者が「元々決まっていた距離や予定が当初より延長される」こと、後者が「物の長さや距離が長くなる」こと、と一応それなりの定義がある。しかしこの定義づけも便宜的な側面もあって、厳密に使い分けしようとするとそう簡単にはいかないところが出てくる。
 そもそも平均寿命の経年推移を分かりやすく説明するには折れ線グラフが妥当なのだろうか。私はそんなことが気になってきた。これは棒グラフの方が相応しいのではないかと思い始めたのである。
 ある年の日本の平均寿命を一本の棒で示す。その棒には日本国民全員のそれぞれの命が詰まっている訳で、早死にもご長寿もすべてひっくるめられている(「平均余命」の厳密な定義からは逸れてしまうが)。毎年調査したデータのグラフなら、それぞれの棒にはそういった濃縮された塊が表わされている訳である。医療の進歩や健康に対する啓蒙活動の促進を踏まえた日本国民の平均的な寿命の伸び率が示されていても、個々の人間の命の延び具合は区々である。当たり前のことだが、人の数だけそれぞれの寿命が存在する。極端な例になるが、プロ野球選手の打撃成績について、全選手の年間打率の平均値を調べてもほとんど意味がない。この考え方と平均寿命は似ている。折れ線グラフのような前後の連続性・関連性はそれほど関係ないと言えるかもしれない。
 これが平均気温の経年推移の話題となると、折れ線グラフによる表示が相応しいだろう。地球温暖化でいかに地球全体あるいは各地域の気温が上昇しているかを示すにはその方が分かりやすい。二酸化炭素の排出量変化と相関しているのだろうから、将来を予測する場合でもその方が理屈に合っている。
 平均値を調べるとは一体どういうことなのだろう。どれほどの意味があるのだろう。寿命の平均をとっても、個々の人間はその生き方や様々な要因によってそれぞれに寿命は決まってくる。情報や知識としてどこまで均した数値は参考になるのか。うーん、平均てナニ?寿命ってナニ?の迷路に這入っていきそうだ。

  平均をとってもあまり意味のない寿命   博史

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