2022年11月18日に「アンサンブルの思い出 」というブログを書いた。2024年1月12日には「幻のクラス会 」というブログも書いた。以下の文章はこの二つの話しの顚末を記すものである。
11月20日に令和元年8月以来、実に5年ぶりの中学校の同窓会が開催された。本来ならば3年後に開く予定だったのだが、コロナ禍によって更に2年やむなく延期になったのである。待ちに待った催しだったので出席者は旧交を温めて楽しんだ。PowerPointのスキルを持っている幹事が卒業アルバムなどから写真を拾い出してきてスライドショーを作ってくれていた。宴の半ばに液晶プロジェクターでそれを投影すると大変な盛り上がりになった。大成功だった。何十年ぶりになるのか、最後にみんなで校歌を合唱して締めくくった。
私個人は、アンサンブルの件で青木良子さんに会えることを楽しみにしていた。宴会が始まる前に青木さんを見つけて、早速、お母さんが和裁をやっていたかどうか尋ねてみた。残念ながら、やっていなかったという回答だった。しかし、分家の方の青木さんの叔母はやっていたのではないかと言う。これに驚いた。
50年以上毎年玄米を買っていた青木家の分家の奥さん(良子さんの叔母さん)には、実は平成20年頃から毎年お会いしていたのだ。老いた父親に替わって私が軽トラを借りて玄米を運ぶようになり、青木さん宅へ伺っていたのである。玄米袋の運搬が済むと必ず奥さんがお茶を出してくれていた。青木一郎さんと奥さん、そして私の三人で世間話をよくしたものだった。残念ながら、奥さんは数年前に亡くなった。歯の治療から敗血症になってしまい、それからさらに寝たきりになって衰弱していったらしい。
50年近く前、せっかく作ってきてくれたアンサンブルを前にして私が「こんなものは要らない」と暴言を吐いた相手が、その後40年近くなって毎年お会いしていた方と同一人物だったとは…、全く気がつかなかった。想像もしていなかった。そしてもう亡くなられているとはため息の出る話しである。もうお詫びも出来ない。さらに深いため息が出た。
もう一つの「幻のクラス会」の顚末はこうである。同窓会の会食はクラス毎に円卓を囲む形式のものだった。私は例のハガキを持参していた。そして5組の出席者10名に見せた。その中で、この高2の時のクラス会に記憶があると言ってくれた女子が1人いたのである。
地元壬生町に生まれ育って、高校も就職先も壬生町内。そして結婚相手も壬生の人で、人生のほとんどを壬生で暮らしていた同級生である。コロナ前、中学時代の同級生有志が集まった飲み会があり、その時に彼女と会話した際、同級生の消息をあまりにもよく知っていたので驚いた記憶が残っていた。変な噂好きの人間ではない。とにかく同級生の消息について、客観的な情報を持っていて詳しい。私が川柳をやっていることも知っていた。彼女のお蔭で幻のクラス会は幻ではないことが判明して、とりあえずはほっとした。
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