前回からの続きのようになるが、運動神経の鈍い私が持久走だけはそうでもないことに目覚めたのが高校生の時だった訳である。大学5年間は運動などほとんどしなかった。それでも何か体を動かした方がよいと考えて、入学時に山歩きのサークルに入った。しかしこれも2年の時に辞めてしまった。以来、卒業までは運動らしいことはほとんどやっていない。自転車がなかったので、何につけとにかく歩いた記憶がある。東京の街中のウォーキングは飽きない。これが唯一の運動だったか。
就職してから同僚に誘われて山歩きを再開した。栃木県内、隣接県の山々を日帰りや1泊でよく登った。冬場は山に行けないのでマラソンでもやるかという話しになり、シューズやジョギングパンツを調えて練習を始めた。そして高校生の頃の記録と記憶を呼び戻していた。
退勤時刻の5時に仕事が終わって、いざ構内グランドのトラックで練習してみると、やはり気持ちがいい。走ることの爽快さが甦ってくる。そんなことを繰り返していると、今度はマラソン大会にも出てみるかというふうに話しが進んでくる。これが私のマラソン人生の始まりである。10kmまたはハーフマラソンの部によく出場していた。42.195kmのフルマラソンも2回ほど挑戦したが、麻薬物質の分泌は続かない。分泌が枯渇してしまうと、だらだら走りながら足や膝の痛みだけが残る。惨憺たる記録でゴールしたものだった。これに懲りてフルはもうやらなくなったが、10kmでは各地の大会に出場し続けた。そして、思い出になっている一つの記録があるので以下に記す。
18歳の大学入学時からタバコを吸っていたが、32歳の時に止めた。それまでは大会の本番前にも煙を吹かしていたのである。昭和時代は、そういう参加者は周りにも結構いた。
タバコを止めたきっかけは、ある時、体調に変化がないのに血痰が出て呼吸器内科を受診したことである。そして気管支ファイバースコープの検査を受けた。これがかなりきつかった。それでこんな辛い思いをするなら禁煙してみるかという気になった。タバコを止めると体が軽く感じられる。胃腸も良くなった感じがしてきた(あくまで気持ちの上でのことだが)。
そんなベストと言えるかもしれない健康状態の中、茨城県の勝田市(現在のひたちなか市)で毎年冬に開催される勝田全国マラソンの10kmの部に出場したのである。そこには既に数回参加していたが、禁煙して体の調子がよくなってからは初めての参加である。昭和63年2月のことだった。
フルマラソンがメインの大会で数千人が走る。10kmのコースにも1,000~2,000人以上の参加者があったのではないか。
その日の私は、スタート前に一番最後、ランナーたちのどん尻の位置に着いた。麻薬物質の分泌をなるべく小出しにして、いきなりスピードを出さないよう肝に銘じたのである。最後までペースを維持できるようにするにはこの方法がいいのではないか。私なりにそんな作戦を考えたのだった。
ピストルが鳴っていよいよスタート。どん尻の私は前へ向かってなかなか足を踏み出せない。前にいるランナーが詰まっている。相当な混雑である。ランナーの塊が流れとなって動き始めるのに時間がかかり、私がようやくスタートラインを踏んだのは既に1~2分は経過していたと思う。完全なロスタイムである。でもそのことはあまり気にしていなかった。心に決めていたのは、一人でも多く追い抜くこと。そして決して一人でも追い抜かれないようにすること。これを守り続けた。ラストスパートはゴール前の数百メートルになるま我慢する。それまではマイペースを維持する。
一人ずつゆっくり追い抜いて行く。最初は鈍(のろ)いランナーばかりだったが、次第に速い者ばかりとなってくる。それでも私の前を走るランナーの背中をターゲットにしてじわりじわり追い詰めていく。そして追い越す。数百人は追い抜いたのではないか。結果は以下の写真のとおりである。42分20秒の記録であるが、正味のタイムは、私の感触では40分前後ではないかと思っている。
その後、これ以上の記録を出したことはない。タバコを止めて少し肥り出した所為もあるだろう。その後は40分台の半ばを行ったり来たりして、40歳半ばを過ぎると50分台となった。50歳台になると、もう60分近くになり、いつもビリに近い順位という有り様だった。記録より出場すること、終わった後に飲食できる入浴施設(スーパー銭湯や健康ランドみたいなところ)へ行ってビールを飲むことに大きな意義を感じる。大会で走ることに対して、年齢を重ねてそんな向き合い方に変わっていったのである。
それでも少し意地があったので、職場にある400mのトラックで日々練習を重ねて、10周4kmを16分15秒(自分で計測)で走った経験がある。地元の駅伝大会で仲間とチームを組み、私が一番短い区間を任されて区間2位、総合で3位になったこともあった。いずれも40歳前後の頃だっと記憶している。
64歳で走ることは引退した。父親からの遺伝もあるのだろうが膝の痛みが出てきたからである。歩くことにシフトして膝の負担を軽くさせるようにした。さらに今ではそれも負担になってきて自転車を乗り回して体を動かすこともしている。
下の写真は、勝田マラソンの記録証である。なかなか捨てられないものの一つである。

Loading...

















































