7月24日のブログに「道のりは長い 」を書いた。30数年の川柳人生の総括みたいなことをしようと、過去に詠んで活字になった自作をすべて引っ張り出してきて、全句集出版のための編集(選句して入力する作業)を始めることにしたのである。
そのブログには、会員である柳誌、大会結果の発表誌などのファイルが山のようになった写真も載せた。実を言うと、私は今までに出句・投句した柳誌等は処分しようとせず、すべて保管していた。サイズ(A5判やB5判などの判型)や種類(柳誌・発表誌・入選作品集)ごとにファイリングしていたのだが、これらを1か所にまとめてみると拙宅の六畳一間を占有するほどになった。7月の初旬に半日ほどかけてファイルの積み上げ作業を行った次第なのである。
一人暮らしなので、家の中がこんな状態になっても文句を言う家族は誰もいない。そのままほったらかしにしていた。理由は折からの猛暑で、とても編集に手を付ける気がしなかったのである。とにかく暑さが収まるまで待とう。そんな考えで今夏をやり過ごしていたが、9月になってもなかなか涼しくならなかった。
関西で暮らしている娘から、11月には家族4人で帰省するという連絡があった。孫二人が来るのは大歓迎なのだが、占有の所為で部屋が足りなくなった。やばい。どうしよう。でも、そのために残暑の中わざわざ片付けて占有状態を解消する気にはなれない。ホンネを言えば億劫である。
そしていよいよ10月に入った。一気に涼しい風が吹き始めると知らぬ間に本格的な秋の到来である。気分ががらりと変わった。何と編集作業をする気になったのである。秋風が一度吹いただけで心境の変化が起きるとは思ってもみなかった。まさに「どういう風の吹き回しか」を地で行く感じであった。現在は日々ファイルと格闘しながら、パソコン画面に向き合って自作の入力作業を進めている。
現役時代の同僚で秋という季節が大嫌いと公言する女性がいた。秋が来て日が短くなる。これが堪らなく嫌だと言う。毎年9月になると、いつも必ず「秋は嫌だ。どうにかならないか」と愚痴っていた。楽しい思い出をたくさん作った夏が終わってしまった後の秋の憂鬱であろうか。
「ものをうれえる」のうれえるには、「愁」と「憂」の二つの漢字が大体当てられる。前者はもの悲しい気持ち、後者は心配や不安をさしている。漢字を使い分けるのはいいが、この二つは心境の重なりがあるように思える。愁えると憂えてくる。憂えると愁えてくる。そんな関係性を感じるのである。
秋が来ると必ず愁えていた同僚女性の心には、愁いの他に憂いの気持ちも併せて生まれていたに違いない。漠然たるもの悲しさは、具体的な心配事に結び付けられやすいと考えられる。感傷的とはそうものではないだろうか。
私も秋の気配に俄かに気がついて愁いの感情が生まれ、それが娘家族が帰省するのでとにかく部屋を片付けなければという憂いに結び付けられたのかもしれない。そこから待ったなしとなった編集作業に対するやる気を奮い起こさせた。これは移り行く季節によって影響される人間の心の自然な流れなのだと自分なりに悟った。
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