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 私の卒業した高校は男子校だった。毎年秋に長距離耐久レースと呼んでいた校内マラソン大会が実施されていた。校外を37km程度走らせるものである。全校生徒が対象だが、各学年315名(45名×7組)のうち、出場するのはおそらく300名弱ぐらいだったと思う。万一のために、出場する生徒には心電図検査を事前に受けさせていた。
 私は運動が苦手だった。腕力がない。瞬発力もない。器械体操は全然ダメ。サッカーなどの球技も下手だった。持久力も恐らくダメだろうとずっと思い込んでいた。だから1年生の時に初めてのレースが近づくと、体育の授業での練習は真剣さが足りずいつもだらだら走っていた。当然先生には怒られた。
 ところが本番になると、何故か脳内麻薬物質が分泌されてランナーズハイになってしまった。走り続けて沿道の声援(と言っても先生やお手伝いの父兄ぐらいだったが)を受けるとペースが上がる。最後の5kmぐらいになると麻薬も切れてかなりきつくなるが何とか踏ん張る。そうすると結構いい順位でゴールできた。
 1年生の時は学年順位で予想もしていなかった40番台に入った。50位内であればノートがもらえることになっていた。ちなみに各学年で1位から3位まではトロフィー、7位から10位までは金メダル、11位から20位までは銀メダル、21位から30位までは銅メダル、31から50位まではノート1冊と、そういう賞品がゴールで待っていた。
 2年生の時は、ひょっとしたらともっといい順位に入れるかもしれないと色気が出てきた。少し気合を入れて走り続けたら、ゴール数kmの地点で、国語の先生が「三上っ! 今21位だぞ!」と声掛けしてくれた。もう一人追い抜くと20位。私は20位に入りたかった。それは21位からの銅メダルの色がイマイチ光るものではなく些か燻(くす)んでいて、金や銀のメダル方がカッコよく見えていたからである。しかし20位との差はかなりあった。うーん残念、あと一人を追い越すことが叶わず21位のままゴールイン。でも嬉しかった。何かで頑張って光り輝くものをいただいたのは人生初めてのことだったのである。
 次の年は3年の受験生の時である。マラソンどころではなかった気持ちも少しあった。しかしスタートして走り出すと、麻薬物質はいつものように確実に脳内で分泌される。何とか走り続けた。ゴール数kmのところでは前年と同じ先生が「三上っ! 今30位だぞ!」と教えてくれた。うーん、これはやばい。後続に1人でも抜かれたらもうメダルはもらえない。私から少し離れて走っている31位の後続も、その先生に「あと1人抜いたらメダルだぞ!」と発破をかけられたのだろうか。少しずつ私の背中に近づいてくる。燻んだ銅メダルでももう1枚欲しい。何とか頑張って振り切った。30位でゴール。ぎりぎりセーフのメダルだった。
 そんなこんなの思い出が高校生時代にはあった。以下の写真は、その銅メダルである。ご覧のとおり、銅というより赤茶色の塗料を塗ったような感じの表面である。でもずっと保存していた。多分これからも処分することはないだろう。

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