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 新聞記者出身で随筆執筆を趣味にしている文芸の先輩がいた。何かの集まりがあって隣席になった際「一つの文章に同じ言葉を二度繰り返さないよう心がけていつもペンを執っている」と私に語りかけてきたことがあった。記者としての現役時代、原稿を書く際にいつもそのことに留意していたのだろう。先輩記者から厳しくそれを指導されていたのかもしれない。新聞記事の書き方としては、紙面の制約を踏まえると至極尤もな話しである。
 私は40歳前後の頃から随筆を書き始めた。偶に小説も書いた。文芸コンクールにも何度か応募した。入賞や入選することもあったが、当初の頃は書き進めるペンに力が入っていたのか、同じ単語や言い回しを文中に何度も繰り返し入れ込んだものだった。そして入賞した作品の選評でそれを指摘されたことがあった。何故それがいけないのだろうと、その時は少し疑問に思ったものだった。
 その後になって冒頭の先輩の話しを伺い、諄い書き方はやはり嫌われるのかと、はっと気づいたのである。それからはなるべく言葉やフレーズを繰り返さないよう心がけた。しつこいなあと読み手に印象づけられそうな書き方も避けるようにしている。
 しかし私なりの考えもある。例えば推理小説を取り上げてみよう。長編のものを真剣に読み始めてみる。結末はどういうものであれ、読者として犯人捜しをしながら読み進め、伏線となるものが転がっていないか留意してページをめくり続ける。これは攻めの姿勢での読み方である。しかし、途中から受け身になってくる。ストーリーの展開に追いつこうとするだけで精一杯となり、能動的に犯人を推理することができなくなる訳である。1日で読み切れないものだと日を置いて再び読み始める場合もあり、読んだ記憶が飛んでいる事態もしばしば起きる。そうなると、改めて随所に物語のおさらいをしてもらいたいと思うのである。同じようなことをまた書いてもらいたい。そういうアシストがあると文章を追っていく上で便利に感じる。
 実は、映画についても同じようなことが言える。映画製作というのは撮影終了後に編集を重ねて2時間前後に収めるのが一般的であろう。観る側は2時間に凝縮されたものを鑑賞する訳である。ずっと座席に座ってスクリーンと向き合い、大事な見落としはないか気をつけなければならない。物語の展開と結末との整合性に些かの矛盾を感じたなら、どこかのシーンの大事な一言をスルーしている可能性がある。そういった時のためのおさらいが欲しいのだが、商業映画では時間の制約は厳しいものなのだろう。
 小説家や映画監督は、自分の作品を完璧に熟知しているから、矛盾するような場面や展開が生まれるはずもない。最初から最後まで整合性がとれている。これは当たり前のことだ。しかし、読者や鑑賞者はそこまで深く関わっていない。作品とは初対面である。二度三度読んだり観たりすれば矛盾は回避されるのだろうが、そんな暇はなかなか持てない。
 私が随筆を書く場合は、読んで分かって欲しいという思い入れが強い。だから丁寧に書きたい。丁寧な文章には繰り返し表現はどうしても必要な時がある。このブログを含めて、ものを書く以上は前後の矛盾なく確実に主旨を伝えたい。裏を返せば誤解のないようにしっかり読んでもらいたい。文字や画像の電子情報が巷に溢れ返り、それらが大量消費される時代であるが、私の個人的なこだわりはなかなか捨てられない。

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  1. 坂本加代 on 2024年9月24日 at 8:43 AM :

    私もつれづれに随筆を書きますので共感しました。
    やっぱり分かってほしいという思いでいつも書いています。
    ラジオ放送などで聴いてくれた友人には「分かってくれた?」と返事しますね。
    いつもブログで勉強させてもらっています。ありがとうございます!

    • 三上 博史 on 2024年9月27日 at 9:12 AM :

       加代さん、ありがとうございます。
       文章の世界は、とりあえず読んでもらって、次に解ってもらって、そしてなんぼのものですよね。

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