所属するコーラスサークルの発表会が8月下旬にあった。その半年前に、どんな歌を歌って発表するかの話し合いがサークル内部であった。メンバー各自が歌いたい曲を持ち寄ることになった。集まったタイトルをまとめてると昭和歌謡がほとんどだった。これは、歌う側の平均年齢を考えれば、大方予想がつくことである。
さて、指導する先生が言うには、ピアノの楽譜があればどんな曲でも構わないとのことで希望を募っていた。楽譜は大体インターネットから入手出来るらしい。それを聞いて、さすが先生はすごいなあと改めて感心した。プロのピアニスト(専門はチェンバロらしいのだが)でもあるのだから、ピアノが弾けることはもちろん当然のことなのだろうが、何でもOKということを衒いなくごく自然な態度で示す。もちろん私には想像ができないほどの腕前なのだろう。そして日々練習を怠っていないのも確かなのだろう。
西田敏行が歌ってヒットした名曲「もしもピアノが弾けたなら」(作詞:阿久悠/作曲・編曲:坂田晃一)を思い出した。誰かがピアノを弾いている光景を見ていると、自分でも簡単に出来るのではないかと、とんでもない錯覚をしてしまう(実際に鍵盤に触れると恐ろしく難しい操作であることに気がつくはずなのだが…)。
これはギターなども同じ。レッドツェッペリンのジミー・ページや寺内タケシの指捌きも、少し習えば自分でもマネできるのではないかと大いなる勘違いをする。結構そういう人がいるから、エアギターなどというパフォーマンスが生まれたのだろうか。
私の友人で、若い時分、自分がスイスイとスキーを滑っている姿を夢に見ることが何度もあったと話す輩がいた。当人は一切スキーをやらない。しかし夢の中では、ゲレンデで直滑降や斜滑降を難なくこなしている。私は20代の頃に少しだけスキーをやったことがあるので、そんなことなど夢に出てきたことはない。一度ストックを握ったことのある経験者は、スキーの難しさを承知しているので夢には見ないものなのだ。
小説を読むのが好きな同僚が勤務先にいた。自分では創作活動をしようとは一切考えていない。しかし、自宅の本棚に自分の名前を冠した箱入り美装の「〇〇〇〇全集」(全〇巻)が並んでいる夢を何度か見たそうだ。そしてその夢の中で全集の中の1冊を手にとってページを開いてみる。どこもすべて白紙だった。それでようやく夢から覚める。
安直にものを考えたがる習性というのは誰にでもあるのではないか。どんな分野であれ、少なくともプロと呼ばれる人たちは陰でものすごい努力をしている訳である。そしてそれを当たり前のこととしてあえて誇示するような態度も見せない。
まあ、30数年川柳と関わっている私も、セミプロ、いやセミのセミぐらいのクオータープロを名乗ってもいいのではないかと密かに思う時がある。
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