哲学には、目的論と機械論という二つの考え方がある。以下、Wikipediaから要約して引用する。
[目的論(英語: teleology)とは、我々人間の営みやこの世界が、何らかの目的によって規定・支配され、それを達成するために存在・現象しているとする思想的・哲学的立場のこと。人間の主体性を強調するものから、自然本性を強調するもの、神の意思を強調するもの、それらを混合したものまで、様々に分かれる(以下省略)。]
[機械論(英語: Mechanism)は、自然現象に代表される現象一般を、心や精神や意志、霊魂などの概念を用いずに、その部分の決定論的な因果関係のみ、特に古典力学的な因果連鎖のみで、解釈が可能であり、全体の振る舞いの予測も可能とする立場。(以下省略)]
さて、いきなり小難しい記述を紹介してしまったが、学生時代に進化論を学んだ際、ラマルクの目的論的進化論の説明が深く印象に残っていた。
ダーウィンの進化論に基づけば、キリンの首が何故長いのかは、突然変異と自然選択によって説明される。キリンは突然変異を繰り返した結果、その首は伸びた。さらに伸びた首は生存競争で有利であったので、首の長いキリンだけが生き残った。簡潔に言うと、ダーウィンはキリンの首を機械論的な進化論の観点からこのように説明した訳である。
これに対して、ラマルクは用不用説を提起した。キリンは高い場所にある食料を食べようとした結果から首が伸びた。さらにその遺伝子が子孫まで伝わっていく。そしてキリンという種として首が伸びた訳である。ラマルクの用不用説は、目的論的進化論である。
現代の生物学では目的論的進化論は完全に否定され、機械論的進化論が定説となっている。私が学生時代に学んだラマルクの学説は間違いだったと指摘され、いささかがっかりした記憶がある。
少し古くなるが、2019年8月24日に放送されたNHKの「チコちゃんに叱られる!」で「なぜ鳥は卵を温める?」という問題が出された。鳥が卵を温めるのは、子供のためではないという衝撃的な理由を教えてくれた。「体が冷えて気持ちいいから」、これが正解である。
卵を温めるのは我が子を守っていると考えがちだが、そうではなかった。卵や子供のためではなく、親鳥自身のために卵を温めているのである。卵は温まらないと孵化しないのは当たり前だが、鳥は、卵が温まると孵化する事実を知らないとも説明していた。
このように生物学的に説明されても、人はなかなか納得できないのではないか。科学者があらゆる事実を駆使してどのように理路整然と言明しても、人間の思考は目的論的進化論に傾きたがるものであろう。それは事物に対してどうしても感情移入、自己投影、擬人化したがる傾向があることによる。それが人間の本性なのである。それは、地動説が正しくてもやはり天動説を感覚的に信じてしまうこととも関係するだろう。人間はやはり自分中心にものを考えたがる。
感情移入、自己投影、擬人化の表現を通して、対象との人間的な、人間くさい関係性を見出そうとする。人間に対してと同じように他の生き物に対しても道徳的な価値関係を構築しようとする。そういった関係を問うことが無意味だとなるべく考えたがらないようにしている。
人間は人間が生きる意義やその目的を論じたがる。生きる意味など存在しないと開き直る判断は、生きる普遍的な意味がどこかに必ずあって、少なくともそれが自分には関係がないと強がっている場合(単なるアンチテーゼ)がほとんどだろう。これは厭世的な気持ちになっていても同じではないか。
これからの人類の行方、未来はどうなるか。そんなことは地球自体や宇宙の存在にはあまり関係がない。物事を人間的な関係において捉え、何らかの価値と結びつけたくなる人類がいるから、地球の寿命(終焉)などということに言及する訳である。
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