先日、NHKの短歌番組を観ていたら、指導講師が「臭覚」という言葉を使っていた。これは「嗅覚」の間違いではないかと私は気がついた。放送が終わっても気になっていたので辞書を引いてみると、「臭覚」なる言葉は何と日本語としてきちんと存在していて、「臭覚は嗅覚と同じ。嗅覚の改称」と説明されていた。67歳になる私だけが知らなかっただけなのである。
一般的に五感とは、視覚・聴覚・味覚・触覚・嗅覚の5つをさす。視る、聴く、味わう、触れる、嗅ぐ感覚である(ちなみにこ5つを超えた感覚が第六感)。そしてそれらの動詞はすべて他動詞である。「嗅覚」ではなく「臭覚」に置き換えてしまうと「臭う」となり、これは自動詞となる。負け惜しみのように思われるかもしれないが、「臭覚」では五感の動きが一つだけ不揃いとなる。「臭覚」なる単語は元々存在せず、その誕生は「嗅覚」の安直な誤用・誤解から派生して出てきたのではないかと私は踏んでいる(更なる負け惜しみ?)。いずれにせよ辞書にも載って市民権を得ている言葉なのだから、改めて素直に自分の浅学菲才を恥じることとする(これはほんと)。
こういう思い込みは、今までにも実は何度かあった。女形は「おやま」とだけ読み、「おんながた」と読むのは間違い。「茶道」は「さどう」で「ちゃどう」とは言わないのが当たり前。これらの私の認識はすべて誤りと気づいて悔い改めた経験がある。
今後、それでは「臭覚」という単語を何かで使ってみるか、自作に措辞として用いるかというと、多分死ぬまで使わないと思う。私の頭の中にある国語辞書にはやはり「嗅覚」しか存在ない(何たる頑迷固陋)。
Loading...

















































