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 スマホはiPhoneを使っているが、齢を重ねてタップやスワイプなどの操作が下手になってきている。文字入力の際、指先のタップがずれることがしばしばある。情けなく思う時もあるが、まだドツボにハマった年寄りではないという見栄(?)があるのか、(後期)高齢者向けの機種には変更したくないと意地になっていることも否めない。
 そんなレベルのスキルでスマホやパソコンの画面と日々にらめっこしながらふと思うことがある。若い世代の入力オペレーターは、パソコンのキーボードの操作をほとんど間違えない。何かの打ち合せで、書記(議事録・メモ)を担当する方が画面に向き合う姿を脇でちらちら眺めていると、スイスイと指先を動かして見事にキーをブラインドタッチしている。しまった!とか思わず舌打ちするようなへまは滅多にしない。もちろんマナーとしてそんな態度を見せてはいけないことはきちんと心得ているのだろうが、それにしても高齢者の私にはもう絶対無理なパフォーマンスである。
 キーボードに向かい、いざタッチしようとして指先が震えるようなことはまだないが、隣りのキーを打ってしまうことは私にとっては当たり前のこと、日常茶飯事である。右手と左手の交互の打ち方が嚙み合わない時も、恥ずかしながらしばしば発生する。慌てていると特に酷くなる。嗚呼!情けない。
 そんな自分の姿を客観的に想像していると、これは何か資本主義的だなぁといつも思ってしまうのである。資本主義社会の競争原理は、努力と挑戦という無数の失敗の中から一つの成功ビジネスを我先に見出すことである。失敗の数々は結果的には無駄になる。もちろん無駄の上に成功の果実は載っている。結果的な無駄は成功すれば一気に無駄ではなくなる。浪費でもない。しっかり投資した費用は回収できる。無駄なくして成果はもぎ取れない。
 ITとかICTとか、最近はAIなどというものが頻りに騒がれているが、言い方はどうであろうと、目まぐるしい情報化社会の進展(進歩という言葉は使いたくない)によって、失敗と無駄はあまり顧みられなくなっている。例えば、日進月歩に付いていけなくなった古いタイプのパソコンや家電製品の在庫は、売れなくなると大量にあってもあっさり廃棄処分される。ディスカウント販売に回すといっても、いくらかでも売れればそうするかもしれないが、さもなければ一顧だにされない。
 何につけ地球環境のことが言われるのはその反動ではないのか。江戸時代のお江戸は、何事もリサイクルが徹底されていて、今では考えられないくらいのエコ社会(地球にやさしい)だったようであるが、そういう暮らしをしている人々にとっては、エコは当然のことであり、そもそも敢えてエコを概念化するまでもなかった。当たり前のように、無駄になることを嫌がっていたのである。
 大企業の社長へインタビューなどをすると、何よりもスピード感が大事(即断即決)である、失敗を恐れず挑戦し続ける、などと信念を持って発言する場面をしばしば目にするが、リスクをとって試行錯誤を繰り返すことは、どうしてもエコでないものが発生する。イノベーションには反エコの影がいつも透けている。うまくいった新製品開発の陰には、旧製品の大量廃棄が必ず伴う。
 私の指先の入力作業は、無駄が多いお粗末なタッチとタップのうえに成り立っている。誤入力・誤操作の所為で結果的に余計な時間を費やしてしまうことがしばしばである。何か資本主義社会と似ているなぁと思ってしまう。資本主義は進展していくが、私の指先は衰えていくばかりであり、そこが大きく異なってはいるが…。
 パソコンやスマホの操作から思わぬ論理の飛躍(こじつけ?)をしてしまった。でも、老境を迎えつつある人達の心理には、何か共通するものがあるのではないかと敢えて記してみたのである。

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