去年の11月末、秋物から冬物への衣替えをしようと行李を棚から下して開けてみると、未使用の某肌着メーカーの申又が何枚も出てきた。13年前に亡くなった父親のものである。母親が下着の買い置きをしていて、遺品整理の際に、肌着を含めて父親の衣類の粗方は息子である私が引き取った。しかし、申又だけは使っていなかった。それはいわゆる社会の窓が付いていないので、現役時代の私には穿けなかったのである。それでそのままにしておいたのだが、無職となった今はいつも社会の窓がないジャージを穿いているので、中に申又を着用していても小用をした場合全く支障はない。
ということで、勿体ないのでこれらの申又は全部使おうと決めた。いわゆるらくだ色の爺むさい感じがするものだが、着用する当人が67歳の爺むさくなった人間なので、考えてみれば違和感が起きるはずもない。
気をつけるべきことは、どこかへ外出する用がある日はいつものブリーフタイプを着用することである。そうでないと小用の時に些か面倒くさいこととなる。
申又の包装ビニールには「前とじ」と記されていた。要は社会の窓が付いていませんよ、ということである。実はこの意味が分からなかった。袋を開けて取り出し、物をよく眺めて何のことか初めて理解したのである。
さて、それでは何という表示が分かりやすいのか。いろいろ考えるうちに、そもそも「社会の窓」もとうに死語なのではないかと改めて気がついた。ネットで調べると、昭和20年代のNHKのラジオ番組に由来する言葉のようであるが、少なくとも私が小中学生の頃の昭和30~40年代は、よく使われる言葉であった。子供はそそっかしいところがあるので、よく開けたままトイレから出て来たものだったのである。
では、これに代わる今の言葉は何と言うのか。これをネットで調べると、これに相当する言葉は現在のところ存在しないようである。ズボンの前開きの部分とか、そんな説明がなされているが、これと同等の単語は見当たらない。それでも現代の日本語の言語表現における単語の体系は成り立っている。日本人の日々のコミュニケーションに支障を来していない。
「社会の窓」が頻々に使われた頃は閉じるのがファスナーだけでなくボタンタイプのものも多かった。ファスナーならさっと閉められるのでこれを忘れることはあまりないが、ボタンタイプだと、ファスナーより少し手間がかかるので、開いたままにしてしまう粗忽者も多かったのか。すべてがファスナーになって、「社会の窓が開いてるよ」などと注意する機会も激減したから、この言葉も死語になって、これに置き換わる言葉も生まれなかったのかもしれない。
以上、衣替えで出てきた父親の遺品から始まる、日本語にまつわるいつものようにどうでもいいような私の考察である。ついでに言うと、「さるまた」は私のパソコンでは「猿股」しか変換されて出てこない。しかしネットでは、肌着商品としての表記は「申又」が主流のようである。
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