「秋桜」は、さだまさしが作詞・作曲し、山口百恵が歌った大ヒット曲(昭和61年)である。今でも歌い継がれているスタンダードナンバーと言えるだろう。私の所属するコーラスサークルでも最近これを歌い始めた。現在発表会に向けて練習中である。
淡紅の秋桜が秋の日の
何気ない陽溜りに揺れている
此頃涙脆くなった母が
庭先でひとつ咳をする
縁側でアルバムを開いては
私の幼い日の思い出を
何度も同じ話くり返す
独言みたいに小さな声で
こんな小春日和の穏やかな日は
あなたの優しさが浸みて来る
(以下省略)
さて、この続きに「明日嫁ぐ私に苦労はしても 笑話に時が変えるよ 心配いらないと笑った」「明日への荷造りに手を借りて しばらくは楽し気にいたけれど 突然涙こぼし元気でと 何度も何度もくり返す母」のフレーズがある。私は、「明日」という言葉が出てくるこの二箇所がいつも気になっていた。
嫁ぐ前日、母親がこんな励ましをしたり、突然めそめそするようなことがあるのだろうか。そもそも今更ながらアルバムなどを捲ってしんみりなどしないのではないか。翌日の式や披露宴のことでバタバタしているのではないか。それが無事済めば、娘の方はその後に新婚旅行(おそらく海外?)が待ち構えている。どう考えても不自然である。「明日」がせめて「来月」ぐらいなら分かる。
私はこの曲がヒットした翌年の秋に結婚し、披露宴でこの曲のメロディーが流れた。親への感謝の手紙を読む時のBGMだったか。この歌詞とは違い、その前の数日間の慌ただしさの記憶が今も強く残っている。
でもそんなリアリティーへの疑問も、その後、これはドラマ的に詞を書き上げたのだと理解し納得した。理屈っぽくなっては、詞の面白さは半減する。
この歳で、改めて何度もこの歌を口ずさむ。詞の中の不自然さなど全く感じない。名曲である。昭和から平成、令和と世は移り変わった。結婚の概念、そのスタイルも変遷していった。でも、私は紛れもなく昭和世代である。これを脱ぎ捨てることはできない。
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