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 中学生の頃に父親がステレオを買ってくれた。嬉しくて嬉しくて、限られたお小遣いからレコードを買い求め、針を落としては繰り返し聴いたものだった。LP盤は当時2,000円くらい、シングル盤はドーナツ盤と呼ばれて400円程度だった記憶がある。
 レコードは洋楽やクラシックをメインに買っていたが、洋楽シングル盤はジャケットの裏側に記されている英文の歌詞と訳詞とを見比べながら音楽を聴いていた。これはいくらか英語の勉強にもなった。また音楽評論家やプロデューサーによる解説も記載されていて、中学生にはあまり意味や状況が理解できなくとも、とにかく一通りは読んでいた。買った以上は丁寧に読まないと損である、割に合わない。そんな気持ちがあったのかもしれない。
 いろいろなレーベルのレコードを買ったが、解説などの文章にやたらと誤字が多いのに気がついた。中学生当時の私の国語レベルでも判断できるものが結構見つけられたのである。
 そんなことを何故今になって急に思い出したかと言うと、実は、月に2回コーラスの練習へ通っているが、指導する先生が、毎回のように新しい歌を紹介して生徒たちに楽譜のコピーを配布してくれる。
 2年近くこのコーラスに通っているが、楽譜も随分溜まってきた。譜面をよく見ると、その中に誤字・誤変換を見つけることが結構多いのである。歌詞などの文字の間違った表記である。さすがに五線譜の上の音符を始めとするいろいろな音楽記号についての誤まりはほとんど無い。でも言葉の方はよく見受けるのである。先日、サブタイトルに大きな間違いがあることに気づいた時はさすがに啞然とした。
 サラリーマンの現役時代に編集などの作業を散々やらされたので、校正の極意というものを私なりに心得た。校正する場合は、原稿でもゲラでもとにかく疑ってかかるのである。手にしたものをまず信用しない。端から信頼関係を持たない。常にこれには誤記・誤植・誤変換が必ず潜んでいるのではないかと勘繰る習性を身に着ける。そうすると、結果的に丁寧なやり方の校正になって、大きなミスを犯さなくて済むこととなる。この癖が今でもあって、譜面の歌詞などの表記でも、これは間違いではないのか?と疑ってかかりたくなるケースが偶に出てくる訳である。
 文芸編集者は文字に、楽譜編集者は五線譜の音符や記号の方に神経を尖らせて編集しているのではないか。そんな気がするのである。勿論優秀な編集者であれば、どんなものでも偏ることなく、あらゆる紙面に満遍なく注意を払って校正を行っていくのだろうが…。
 ついでに言えば、昭和時代の電子化がまだ進展していない、タイプライターなどで印字していた頃の印刷物は誤植がとにかく多かった。地方新聞などは1ページに誤植が何箇所も見つけられた。スポーツ面で、巨人の長嶋選手の打席写真が左右反対に印刷されていて、王選手のように左バッターになって写っていたことすらあった。今では想像できない致命的ミスだろう。でも当時の読者は比較的寛容だった気がする。

  人間不信校正が冴えている   博史

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