2021年7月12日に「ただいまぁ!」 | 三上博史ブログ (shinyokan.jp)を書いたが、これは小学校時代のことである。去年の11月に母が亡くなって、東京での下宿生活以来の独り暮らしが再び始まった。当たり前のことだが、家を出る時は無人となるので玄関の鍵を必ず掛けるようになった。家に帰って「ただいまぁ!」と言うことが全く無くなった。やはりこれは淋しいものだ。日暮れが早い寒い冬に、何かの用事を済ませて真っ暗な家に帰る際、母が居ないことに慣れるまで正直少し辛かった。春が来て夏になれば、日が延びて明るいうちに帰宅することが多くなる。これは細やかなことだが素直に嬉しく感じるはずだ。
高齢者の仲間入りをしていい年になったので、暗い部屋だから怖いという感覚もかなり薄れてきた。家の中に幽霊が出てきても、さほど驚かないかもしれない(これは元々その存在をあまり信じていないからそのように言えるのかもしれないが…)。
あまり人と接することがない日には、家の中で独り言が増えるだろうというような気もしたが、これも予想外にそうならない。私以外誰も居ない家で独り何か呟くようなこともあまりない。
こういった生活が死ぬまで続くだろうという覚悟が少しずつ出てきたところもある。人は誰でも一人で死んでいくものであり、死に対する冷ややかな感覚は更に増してくることを予想している。淋しいとか淋しくないとか、そこら辺りのことに対して超然とした態度になっていくのだろうか。
もう「ただいまぁ!」という言葉を日常的に使うことがなくなった。うーん、だから何だと言われそうであるが、私の辞書からこの言葉はほぼ消えたのである。それでも前を向いて生きていかなければならない。老いていくということはこういうことか。そんな感慨を持った。
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