以前に載せた「ピンピンコロリ、人生100年時代 | 三上博史ブログ (shinyokan.jp)」(2020年8月3日)というブログの中で、「ピンピンコロリ」という軽い響きの言葉に私が馴染めないでいることを書いた。
先月3日に94歳で亡くなった母は、簡単な料理、食器洗い、お米研ぎ、洗濯物を干したり取り込んだりの日中作業を一日の役目として毎日果たしていた。たまに家の中を掃除したり、庭の草むしりなども死ぬまでやっていた。老いてきて動きが鈍くなり、掃除や草むしりの回数は減り始めていたが、やる意欲だけは持続していた。
要介護にもならず、医者にもかからず、薬も飲まず、いわゆる健康寿命のまま亡くなったのである。今年の春頃に足腰が弱ってきたので杖を買ってやったが、それがなくとも何とか歩くことは出来ていた。
人に世話をやかせることが嫌な性分で、何事もとにかく自分でやる。周りが手伝ってやることを極度に嫌がった。優しく大事にされると、自分が老いて衰えてきたのかと感じてかえって悲しくなってしまう、などとよく愚痴をこぼしていた。
自分が死ぬ時は家族葬にすること、その葬儀の費用は箪笥預金してあることを生前よく話していた。実際にそのとおりにしてやったが、とにかく徹底して手間のかからない亡くなり方だった。振り返ってみれば、本人の意向、気持ちをなるべく尊重して誰からの援助も求めず私と二人で地味に我が家で生活してきたつもりである。
日本人の健康寿命は男性が約72歳、女性が約75歳だそうだが、私の母のように認知症にもならず94歳まで健康的に永らえた人はあまりいないのではないか。
葬儀の後にお線香を上げに我が家へ来てくれた中学時代の友人から「ピンコロで死んだのか?」と訊かれて、なるほどそういうことなのかと改めて気がついた。あまりいい言葉とは思えないが、確かにそうなのかもしれない。欲を言えば、来年3月に二人目の曾孫が生まれる予定なので、対面出来るようせめてもう1年ぐらいは長生きしてもらいたかったという欲が私にはあった。母には孫が3人いる。すべて女。曾孫(私の孫)が1人でこれも女。今度の二人目は男なのである。抱かせてやりたかった。しかし、ここ1、2年の老い方は身体も認知機能もやや加速して進んでいるようなところがあったので、天命、大往生だったと思いたい。
亡くなった日は、いつものように朝食後の食器洗い、洗濯物干しをして、それから縁側で新聞を読んでごろんと横になって休んでいた。その後昼食の用意に取りかかり始め、ご飯を炊いてカレーを作った。カレーだけは母に作ってもらう習慣があった。昼食をとってからの午後は私がサイクリングと買い物で2時間ほど家を不在にしていた。母は普段どおりに2時から3時の間に一人で風呂に入った。私が4時少し前に帰ったら、心肺機能が既に停止したまま水面に顔を伏せて浴槽にいたのを発見し、慌てて救急車を呼んだ。救急隊員がいろいろな処置を施してくれ、大学病院へ搬送されたが蘇生が叶わず死亡となった。検死して溺死という診断だった。私が不在でなければ…、という後悔もないことはないが、大して苦しんだ様子もなく逝ったのはよかったと思っている。享年94歳は、一応現段階では7人の兄弟姉妹の最高記録なのだが、まだ存命の母の末の妹(現在82歳)にはこの記録を是非破ってもらいたいと思う。しかし94歳までほとんど周囲の手を焼かせることなく健康寿命のまま命を全うしたハードルを越すことはなかなか大変なのではないか。
事故死みたいな形で亡くなるのではないかということは、実はうすうす予想していた。自宅だろうと施設だろうととにかく介護されることを嫌がっていたのだから、長患いで寝込むことも嫌っていた。そうすると残るのは突然死(急死)である。交通事故で死ぬのではないかということもふと考えたことがあったが、最近はあまり外出しなくなったので、その可能性は減っていた。毎月介護保険料を納めていたが、自分が要介護状態となってサービスを受けたり、施設に入所したりして介護保険を使うことは想像できなかった。結果的に保険料の納め損になるだろうということもある程度予想していた。
仮にもっと生きていて介護施設に入所するようなことになったとしたら、案外早く亡くなっていたかもしれない。とにかく気力だけで生きてきたようなところがあるので、それをもぎ取られたらきっと落胆したことだろう。健康寿命のままで死ぬこと、周りに世話や迷惑をかけなかったという点では、これ以上の優等生はなかなかいないのではないだろうか。自分の親だが素直に称えたい。
最後に一つ話したい。12年前、父親が81歳で亡くなった時は、父と母と私の3人暮らしだった。娘が大学進学で家を出たのでようやく少し落ち着き、これからは両親に対して優しくして今更ながらの親孝行的生活を送ろうと思っていたのである。それが1年半で父が弱り始めてその後3か月ぐらいして亡くなった。もっと孝行してやれなかったのが悔いだった。せめてもう1年長生きしてくれたら、などと思い、亡くなった際の担当医にそのことを話したら、一言「家族は誰でもそう思うものです」と、あっさり言われてしまった。
さきほど母に男の曾孫が生まれる話しをして、もう1年永らえたらその曾孫に会えたのに、と少し残念がったことを書いた。親が亡くなると、どういう状況であれ、あと少し生かしてやりたかった、生きてくれればよかったと思うのが残された子供の素直な心情なのだろう。そしてそう悔みながら、いやこれでよかったのではないかと少しずつ心を整理していくのかもしれない。来週に四十九日法要を行って納骨するが、それが済んでから慌てずじっくり遺品整理を進めていきたい。
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