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 抽象句、前衛句、心象句、主観句と言い方はいろいろあると思うが、要するに難解句って何だろう。難しくてどうも分からない作品について、当然そういう句を並べられると読む方は疲れてくる。「メタファー(隠喩)の使い過ぎもいい加減にしてくれ、思い込みが強すぎるぞ!」と言いたくもなる。
 でも作者は「俺の句は難しい、どうせ分からないだろう」と思いながら作品を詠んだ訳ではない。きちんとした具体性を描いて詠んだはずだ。
 絵画や彫刻、小説に詩など、難しくて解釈できない作品はいくらでも出てくる。しかし、難しくて分からないと真っ向から批判することも、どうも躊躇われる。それはそれらを解釈して鑑賞している人たちが厳然といるからだ。
 私には分かりません、となかなか開き直れない。時間が経過して、ある日ある時、何かのきっかけで自分なりにはっと理解することもあるだろう。その時の謎が解けたような無上の快感は忘れられないものになるはずだ。難解さは絶対的なものではなく、相対的かつ主観的なものとも言える。
 毎年いろいろな所で川柳大会やコンクールが開催され、いくつもの特選句が披露される。中にはなかなか理解出来ない作品も正直あることだろう。でも作者が自分の思いを五七五に詠んで、選者や審査員が秀句として一応それを認めたのだから、何かが潜んでいるはずだ。無下に出来ないところがある。
 と言いながらも、大衆文芸の一つである川柳の命は一読明快の痛快さであることも確かである。自由律、破調などを含めた難解句は決して川柳のメジャー(主流)にはなれない。デジタル社会がさらに進展してきて、難しいことを好む時代ではなくなってきたということもある。純文学の衰退などはその典型だろう。哲学や重たい思想も流行らない。川柳なら、サラ川や企業が募集するテーマ川柳が既にメジャーになっていることは否めない事実である。
 堅苦しいことは言わず、川柳は詠んでも読んでも即楽しく感じるものにしないといけない。これが基本なのである。この基本を忘れたら、川柳は自分の首を自分で締めて、図体を持て余した恐竜のように滅びていくだろう。

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