私の家の裏庭(そうは言っても大した広さではないが)に柿の木が1本生えている。おそらく私と同じくらいの年齢、還暦を過ぎているのではないか。毎年、50から60個ほど、いやそれ以上の数の実を生らせてくれるが、振り返ってみると、私と柿の実との付き合い方にもそれなりの変遷があったようである。
子供の頃の贅沢など出来なかった時代、秋になると柿の実はポピュラーなおやつの一つになっていた。母親が剝いてくれて三時のおやつ時に食べていた。大人に近づくともっと美味しいものの味を覚えてあまり食べなくなる。実が生っても親が毎日のようにせっせと食べるばかりだった。
ところが自分の健康が気になる年齢(40歳過ぎ辺りか)になってくると、「柿が赤くなると医者が青くなる」の諺などが気になってきて、徐に再び柿を食べ始める。親の食べ方を見習うように1日に一つ朝食後に食べる。冬が来れば柿もなくなり蜜柑に入れ替わる。蜜柑を食べていると風邪をひかない、などと言われるが、そういう言葉にも少しずつ敏感になる訳である。
現役時代、毎年家に生ったたくさんの柿を職場に持ってきて、みんなに分け与える上司がいた。その上司の家では柿は食わないから持て余しているということだった。みんなと喜んで頂いたが、私個人は、柿を食べないなんて勿体ないなぁ、気持ちが若いなぁ、と密かに思った。庭先の柿でも食べつけるとそれなりに美味しく感じられることを知らないのだ。医者が青くなるくらい体にいいものだったら食わなきゃ損なのに、という考えになるのである。
またこんなこともあった。かつて毎週の休日には必ず自宅付近をジョギングしていたが、ある年の秋、袋に詰め込まれた柿が民家の塀沿いにいくつか並べられているのを走りながら見つけた。近づいてよく見ると「ご自由にお持ち帰りください」と書いた紙がある。見上げれば、実をすべて捥がれて冬を待つばかりの柿の木が1本庭先に立っていた。この家は柿を食べないで持て余しているのだな、とすぐに分かり持って行こうとしたがまだ走っている途中である。折り返して、家に戻る時に寄って頂戴しようとその場を立ち去った。さて再び現場に戻り柿の袋を一つ持ち抱えて走り出した。走りながらふと思った。この走る姿はまるで柿泥棒のようではないか!と。人目を気にしながらそれでも家に無事辿り着いた。もちろんその柿は、老母と毎日おいしく食べた。この恵みは数年続いた記憶がある。今は、その家の柿の木は伐られているようである。
我が家の裏庭の柿は、毎年秋に生り続ける限り老母と食べ続けるだろう。勿体なくて他人にいくらかお裾分けしても、すべて差し上げるようなことは出来ない。(11月3日に老母は死去。それ以前に執筆)
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