社会人になって給料をもらうようになり、実際の世の中はイエスマンや茶坊主に溢れていることが初めて分かった。映画やドラマ、漫画の世界では度々登場するが、現実の社会にもこんなイエスマンたちがいるとはそれほど思っていなかった。学生時代は何につけ左翼思想的な考え方に傾き、何事にも反発して反体制なことを好んでいたからである。
宮仕えのサラリーマンとして働くと、上司の指示を受けて忠実に業務を遂行することが模範的な勤務態度となる。口答え(ため口)などはもちろん論外、正しいと思っている自分の意見を表明して上司に反論するようなことはあくまでも慎重にやらねばならない。
私は、人がああ言えば自分はこう言うという天邪鬼的な性格を持っていて、長いものには決して巻かれたくない、そういう態度で学生時代までの人生を生きてきたところがあった。これは親に対しても社会に対してでもそうである。それが社会人になって急に修正される訳ではない。上司の指示が間違っていると感じたらすかさず自分の意見を表明するようなことを新人の頃でもやってしまったことが何度もあった。曲がったことが大嫌いという、宮仕えとしてはひねくれたところ(?)もあった。
しかし、自分の席にじっと座って1日のほとんどを書類に向き合い、そういった日々を辛抱すれば1か月分の給料を決められた日に有り難く振り込んでいただけるという生活に飼い馴らされてくると、自分の意見を主張して矢面に立っても立たなくてももらう金額に違いがないことが判ってくる。少し器用になって大人しく業務を遂行すると、いつの間にかイエスマン的な性格に近づいているのである。
40代の頃、ある部署に配置され、同時に新しい所属長も異動してきた。この所属長が器の小さい奴で矢鱈に威張り散らす。過去の自分の実績を誇示する。子供の頃に泣き虫のいじめられっ子だったようで、それを克服するために学生時代はある武道をやって励んでいたらしい。その武勇伝もよく話していた。もちろん私を含めた部下たちは、一応は素直な顔で何回も同じ話しを聞いていた。
ある会議で、その所属長がとんでもないことを指示してきた。聞いている全員が、それは無理なやり方だ、それをほんとにやって変な方向へ行ってしまったらまずいと思った。実は所属長抜きの下っ端の打ち合わせで、茶坊主みたいなところがある所属長補佐が、指示されたそのようなことは絶対にやってはいけないと以前に話していたのである。
会議で補佐が、当然それはまずいということをはっきり言ってくれるのかと思っていたら、当人はしらーっとしている。それなら自分も黙っていようと私も決め込んだ。
しばらくすると、そのとんでもない案が何と具体的に提示されてきた。驚いたのは、所属長のいない時にその茶坊主補佐が私に向かって、言うに事欠いて「お前があの会議でそれは無理ですとはっきり言わなかったからこうなってしまったんだ」と責めてきたことである。私は啞然とした。それは補佐であるお前の役目だろう、そう反論しようとしたが、直接火の粉が私にかかる訳ではないので、まさに面従腹背、素直にすみませんでしたと謝った。年度が変われば私は異動することになっていてその担当にはならない。あとは野となれ大和撫子(何かこれは違うか?)の心境だったのである。
組織というのは強力なリーダーシップによって成り立つことが望ましいが、その周りをイエスマンで固めることもそれなりに大切なのかもしれない。というか、自然にそうなってくるものである。それが一般的であろう。「裸の王様」的でないリーダーなどいないのである。
私の性根は死ぬまで変わらない。私の中にある、学生時代に培った反骨精神(?)はまだ死んでいない。60歳で定年退職し、川柳の世界で第二の人生を送っているようなところがあるが、現役時代に養われた私のイエスマン的な性格は見事に萎んできて、反骨はぶり返した。もう給料はもらっていないので当たり前のことでもあるが。
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