僕の方はと言うと、そのころ、実はもう一年留年しようと考えていた。下宿の四畳半という真四角の世界で、本を読んで格闘することが単純に好きだったのである。
君づけされていた時代が無性に懐かしい。ハンカチと手紙は、そのままパンフレットの下にもう一度しまった。
何気なく腕時計に目をやると、針は正午近くを指している。記憶の森から戻らなければ
ならない時間である。
物置から家に戻ると、サッカー練習に出掛けていた三兄弟の息子達が腹を空かして帰っていた。
あわただしく妻の直子が、昼食の準備をしている。日曜の三上家のいつもの光景である。カレーの匂いが漂う。
「ママ、いただきます」
三人の声が揃ってダイニングに響く。
「今日の練習はどうだった?」
それとなく会話をしようとしたら、
「サッカーより野球が好きなパパが、練習のことを訊いてくるなんて珍しいね」
小三の次男が生意気にも言い返してきた。
「パパもサッカーは嫌いじゃないんだぞ」
そう切り返したが相手にされなかった。
カレーを食べ終え、お茶を啜りながらふとカレンダーに目をやると、来週はもう節分、次は立春であることに気づく。
今の直子とはお見合いで結婚したが、大学時代の奈緒子とは、前向きに物事を考えていくところが似ている。落ち込んだ時、その前向きさのおかげで助かったことが何度もある。
新居に移って、ゆとりが出てきたら、家族を思いやる心が今以上に出てくる気がする。そうしたら、ヴィトゲンシュタインの世界観でもまた読んでみたくなるだろうか。
学生時代に学んだ哲学が、実は今までの人生に役立っていたかもしれない。そんなことを思いながら、午後の片付けのために物置の二階に上がり始めた。
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引っ越しの為の大掃除から、偶然の「直子」と「奈緒子」・・・興味深く拝読させて頂きました。
1・2・3・4と次回がとても楽しみでした(*^-^*)
由利子さん、ありがとうございます。
褒めてくださると励みになります。素直に嬉しいです。