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 私は昭和44年3月に地元の壬生町立壬生小学校を卒業した。その頃のことで今でもはっきり憶えていることがある。
 卒業が近づいてきて、卒業記念写真の撮影や卒業式本番に向けての予行演習など、勉強以外のことがいろいろと出てきた。ほぼ全員が進学する当時の壬生中学校は、男子の場合は丸坊主が決まりだったので、2月頃から覚悟を決めて丸刈りをする者がちらほら増えてきた。
 卒業式当日の服装は、まだ中学生になっていないのに男子も女子も入学予定の壬生中の学生服・セーラー服を着ることになっていた。これは理屈の上では変なことであったが、かなり前からの伝統だったようだ。振り返って考えると、式典で改まった服装にお金をかけるゆとりのない家庭ばかりなので、どうせみんな同じ中学へ進むなら、もう購入して準備している学生服・セーラー服で統一すれば経済的な負担がないだろうという学校側の配慮があったのだと理解している。もちろん今はそんなことはしていない。20年程前に娘も同じ小学校を卒業したが、みんなと同じようにそれなりのフォーマルな服を買い揃えて着させた。そしてその服は、一度着用しただけで今でもクローゼットに眠っている。
 さて記憶に残っているのは、卒業式の当日に向けて予行演習を何度も繰り返してやっていたある日の朝、担任の女性の先生が教室にいる生徒の前で、大変面倒なことが起きてしまったと話し始めたことである。それは、校長先生から、女性の先生が男子児童を君付けで呼ぶのは駄目だと言われたことだった。先生は真剣に悩んでいた。
 1クラス42~3名、男子・女子が大体半々、出席番号は男子と女子に分けられ、生年月日順だった。私は9月生まれなので中ほどの順番だったことを憶えている。卒業を迎える6年生のクラスは4クラスで、男性教諭の担任が2クラス、女性教諭の担任が2クラスだった。校長の考えによると、男性教諭が君付けするのはおかしくはないということだったらしい。
 予行演習で何度も卒業証書授与のやり方を練習する。先生はフルネームで児童の名前を順に呼び、呼ばれた児童はハイと答えて起立し、それから壇上に向かって歩いて行く。その時、男子は君付け、女子はさん付けで練習していた。ところが校長先生から、女性教諭が男子を君付けするのはけしからんと急に言い始めた訳である。例えば、いつも教室では「三上博史君」と呼んでいたのが、式では「三上博史さん」に直さなければならない。日頃、君付けで受け持ちクラスの男子児童たちを呼んでいたから、改まって急にそう指示されても何だか言いづらい。本番では間違えて君付けしてしまうのではないか、と先生は困惑してしまったのである。
 おそらく明治生まれの校長先生で、男女観についてガチガチの明治生まれ気質の考え方だったのかもしれない。
 しかし、こんな事態になって数日してから職員室の中で何か変化があったようで男子へのさん付け呼びはなくなり、もとのとおり男子は君付け、女子はさん付けで呼ばれて式は無事に済んだ。
 女性が男性を呼ぶ場合、年下・年上、目上・目下に関係なく、とにかく君付けはいかんという考え方がかつて存在していた。今からでは信じられないような、黴が生えたような実話であるが、こんなことがあったということを念のために記したかったのである。

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