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 どんな親の元で生まれ育っていくのか、これには当たり外れがある。これを「親ガチャ」という。うーん、なかなか上手い言い方である。自分の境遇を深刻に嘆くというほどではない。軽い気持ちで愚痴っている使われ方なのだろう。流行語として長く使われ、ひょっとして今後コミュニケーションの中にしっかり定着する言葉になるかもしれない。
 若い時は誰でも親ガチャを意識するのではないか。私もそうだった。他所の家庭を羨むことはある意味自然なことである。反抗期などは特に顕著になるのではないか。子供の時分から物事を悟ったような諦めのいい人間など滅多にいない。羨望は誰でも持っている。
 裕福な家庭かどうか、などというのがまず挙げられる親ガチャの尺度であろうか。具体的には親の職業が問題となる。しかし自分の境遇を嘆く理由を探し出すとキリがない。裕福な環境で育った子供でも、それなりの羨望を他人に対して持っていることだろう。
 親ガチャは、自分の可能性・将来性をあまり信じていないとも言える。努力すれば自分の道が開かれ、今までの不遇を打破できるという考え方を持ちたがらない。しかし、オギャーと生まれて以来全く努力しようとしない人間もなかなかいない。いろいろな場面でいくらかでも踏ん張ろうとするのが人間である。
 親ガチャは若者言葉だが、若者からいい歳の人間(中高年以降か)になっても「親ガチャ」の考え方に振り回されていると、これはいささかまずいこととなる。親をいくら恨んでも何も始まらないことに早く気がつかないと、自分の成長が止まってしまうからである。いつまでも無い物ねだりをするな、少しは努力して汗をかけ、という昔からの叱咤激励の教訓が持ち出される訳である。
 現在の自分の立場を嘆いている若者が新しい自分の地平を見つけ出すことはなかなか難しい世の中ではあるが、それぞれの若者がそれぞれ独自にささやかでもその地平を見つけなければ生きていけないことも確かなことである。それは開き直らなければならない。人間はいつの間にか開き直って生きて、そして年老いていくのである。

  反抗期自分の名にもケチをつけ   博史

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