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 「温故知新(故きを温めて新しきを知る)」という言葉は、今の情報に満ち溢れた世の中では、あまり役に立たなくなったのではないかと思っている。
 新型コロナウイルスの感染拡大については、昨年の1、2月の頃から騒がれ始めて、約100年前に起きたスペイン風邪の歴史に学ぶところがあるということで、当初はいろいろ振り返って論じられた。しかし、今はもうそれはほとんど顧みられてはいない。やはり時代が違うのである。そのことを自ずと悟ったからこれに係るメディアの議論はフェイドアウトしたのかもしれない。
 科学技術、医学の進歩が100年前では想像できないくらいになっているということもあるが、インターネットによる情報化社会になってしまったことが一番の大きな違いである。100年前に生きていた人には想像できない情報通信を使った世の中になってしまったのである。そういう意味で、歴史に学ぶには限界が来てしまったと言えるだろう。
 歴史に学ぶということは、自分の考えを正当化するために都合がいいように歴史を啄ばむ弊害もある。スペイン風邪の時にも2年後ベルギーのアントワープでオリンピックが予定どおり開催されたことを例に挙げて、学者・評論家などが今回の東京五輪の開催を正当化するような議論をしていた。私は半ば呆れかえりながら、開催させるための理屈ならなりふり構わぬ身勝手さを強く感じた。これに説得力がなければ、さらに遡って古代オリンピックと疫病の関係まで調べ上げて開催を擁護するかもしれない(これはほとんど冗談)。
 私は五輪にはあまり関心がないので、今回の開催の是非についてはニュートラルである。だからこそ、開催を擁護するならもっとましな考えを持って来て欲しいと感じたのである。
 歴史的背景、時代背景などとよく言うが、ネット社会になって以降、狩猟生活から農耕生活に変わったくらいの変貌が進行中であることを考えると、背景となるものがすっかり変化してしまって過去からの連続性もか細いものとなる。現在と過去を比較する前提が違ってくる訳である。同じ土俵が消えているとも言える。
 Z世代、シンギュラリティ―などいう言葉があるが、情報通信技術の劇的進歩によって、世の中はとんでもない方向へ向かっているのかもしれない。若者でも中高年でも、漫画を読んでアニメは観るが本は読まないということが一つも不自然ではなくなってきた。ゲーム漬けで前頭葉に変化が起きた人間がいずれ地球上の多数派になるかもしれない。そんな進展の中で、歴史は繰り返すから歴史書を読めと言われても、いささか辟易するのではないか。私は個人的には歴史や地理などの社会科は好きだったが、今の世の中で何かに容易く応用できるとはあまり思っていない。

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