私は唯物論者なので一つも信心深くはないが、神社仏閣を眺めることは大好きである。お寺の境内に入って伽藍の配置なども気になるが、高い建物に目を奪われてしまうことが多い。楼門を潜って見事な本堂と対面する。ずっと眺めていても飽きることはない。さらに五重塔や三重塔などの仏塔が立っていると、本堂以上にもっと感動する。
京都や奈良などにある有名な古寺の塔は学校の歴史教科書で知っていたり、修学旅行などで一度見学していたりと、既に承知しているものが多い。古都の趣きとは違った街を散策し、全く期待していないところで塔に出くわすと一人感激してしまう。それが国宝だろうが重要文化財だろうが、さらにそんな指定を受けていない新しい建築物であろうが、それはあまり関係ない。塔そのものに対して、私は条件反射的にときめくようなマインドになっているのである。
下の写真の1枚目は東京練馬の石神井公園近くにある道場寺の三重塔である。50年前に1年ほど上石神井で下宿生活を送っていたが(2023年7月27日 のブログ「上石神井について」を参照)、当時近辺を散歩しながらこれを発見した時は密かに嬉しかった。こんなところにこんなものがという驚きである。人がたくさん訪れるような名所というほどでないのも気に入っている。ネットで調べてみると、昭和48年の建立だという。私が出遭ったのは完成して間もない頃だったということになる。
2枚目は道場寺の隣りにある三宝寺の多宝塔(根本大塔)である。これは50年前には存在していなかった。ネットで再び調べると、平成8年に建立されたとのこと。2階建ての多宝塔は1階と2階の間のくびれのところが円筒形になっているのが特徴である。これが少し可愛らしい。
なお2枚の写真の撮影は3年前のことだが、その際この二つのお寺には私以外に誰も拝観者がいなかった。人が誰もいないというのも最高の見学条件である。
どんな塔でも、とりあえずぐるりと回って眺めるのが私流である。東西南北のいろいろな方向から見上げ、背景の青空や雲との取り合わせにも思いが及ぶ。最上階の屋根に載っている相輪やさらにその上に位置する水煙も必ず確認する。この二つのアイテムは塔の天辺に必ず付いているものだが、天を仰ぎながらも広く世の中を見下ろしているような風情を漂わせる。そこには未来を向いているような落ち着きも感じさせる。
五重塔や三重塔は、そもそも東西に二つ配置されていたのが諸事情で無くなってしまい、一方だけが残されているケースも多い。東西の二つが今もきちんと残されていると、そのシンメトリックな配置の安定感にも心惹かれる。
なお神社について言えば、私は大きな鳥居が好きである。寺と神社のいずれにせよ、ランドマークやシンボルになるような建物・構築物には唯物論者である私でも魅力を感じる。


最後に付け足すことがある。読売新聞東京本社版に「紡ぐプロジェクト」という特集シリーズがある。2月1日に「三重塔 住民の宝」という記事が載っていた。おもしろそうだったので読み進めていくと、現存する仏塔の数は三重塔の方が五重塔より5倍近く多いということである。建築にかける費用や時間が五重塔より少なくて済む分、各地に数多建立されたらしい。
最古の三重塔は飛鳥時代の建築様式による法起寺(奈良)の塔であると紹介されている。また、古くから東西2基の三重塔が並び立っているのは当麻寺(奈良)だけだそうである。いずれも私が十代の頃に一人で奈良を旅行した際に拝観した記憶がある。その時のことが懐かしく思い出された。私の塔好きはどうやらその頃から始まっていたようである。亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」を読んだことがそもそものきっかけだったかもしれない。
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