昨日の私たち親娘のスケジュール。 私は7時に予約してあった美容院でのカラーリングからスタート。夫は夫婦で一日工場をあけるので、そのお願いをするために朝礼へ。菜穂は袴の着つけ、私の親友が8時半に迎えに来てくれて10時前に届けてくれました。それから夫の運転で卒業式会場へ出発。1時間強かかりました。
車中親子三人であれこれ話すうちに、どこでどう脱線したのか私たちの新婚時代の話になりました。
あんな一軒家(今では大分家が建ちましたが、昭和42年ころは我が家だけでした)に私だけおいて、お祖母さんは出掛け(姑は恋愛中でした)、夜には義弟と二人きりになり、義弟に部屋に入られると困るから、私たちの部屋のドアの入り口に、新聞広告に待ち針をいっぱい逆さに立ててたのを置き、丸棒を持って寝た夜があったこと。
その頃夫は長距離トラックの運転手で、私は寝ないつもりが寝てしまっていて、目覚めたら一晩早い帰りのお父さんが横にいてビックリ、何の役にも立たなかった、などなど大笑い。
11時着。菜穂は式の練習があるので会場へ。私は新聞を読んだり、作句時間に。夫はうたた寝。
12時過ぎに、練習が終った菜穂と、親にも用意してくれてた弁当で昼食。
卒業式は13時半からでした。菜穂は健康プロディース学部代表で卒業証書いただかせて貰いました。健康栄養士学科教室に戻ってからは『一般社団法人全国栄養士養成施設協会理事長賞』もいただきました。
37歳で菜穂を授かった時に、父は私の体調を思い「おろせ」と言う。その頃商いはトヤになっていて、思案にくれ、種子島の叔母に相談しました。「そん子が順子のこれからの人生を助けてくれるんだよ。今から生まれる子が一番なんだ、そん子は宝子というんだよ。頑張って産まんば」って励ましてくれた叔母を思い出し、感謝でした。
学校側が浜松駅近くのホテルでのパーティを用意してくれていて、バスは5時に出発というのに、菜穂の学部はなかなか終わらない。結局、袴からドレスの着替えに手間取り、夫の運転で浜松駅まで送ることに。
豊橋に着いた時には8時を過ぎていました。久しぶりに牛川町にある『横綱』(鳥肉料理専門)で夫婦で夕食。
菜穂は飯田線最終便で帰る予定を、疲れてる私を思い豊橋駅からタクシーで帰って来ました。何とかシンデレラ姫時間を守れた、と笑い合う。
幸せな思い出になる一日を無事に終わりました。
今日明日は、豊橋番傘のことを優先します。
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