標記が7月5日名古屋市駅近くのホテルであり、初めて仲間に入れてもらってきました。
来賓の西之表市市長や島津海関を含め83名の出席者に、こんなにも西之表市出身の人たちが東海三県に暮らしているのかとびっくり、また仲間がいると思うと、じわじわじわとエネルギーが湧いて来て、とても幸せな時間を過ごしました。
実は、こんな私を頼って大勢いる従弟の一人が働きに来てくれ65歳で退職しました。が、帰郷せずに豊川市内で生活していたんですが5日の朝に亡くなりました。
従弟の妹夫婦も働きに来てくれ私は助けてられています。
「東海西之表会」の会場に8月23日開催の「種子島鉄砲まつり」の特大ポスターが数枚飾られてました。閉会の時に司会の方が「飾ってあるポスターは良かったら持って帰って下さい」と言われたので、従弟の棺の中に…と思い1枚もらって帰ってきました。
告別式は田舎のお寺さんで行うという事で、今日、豊川市内の斎場で火葬をしてもらいました。
6日7日と私は下手なお経をあげに行きました。
今日のお別れの会の式場には「種子島鉄砲まつり」のポスターがどんと飾られていました。それと私がお経を読むために席が用意されていました。係の人がリンの他に「木魚も要りますね」と持って来てくれました。私はドキドキドキドキしましたが、世話になった従弟に届きますようにと、般若心経の他に白衣観音経等々いつも息子や娘に読むお経を読ませてもらい、俄か和尚をつとめました。
「種子島鉄砲まつり」のポスターは柩の中の従弟を包み込むように掛けられ、その上に花を敷きつめました。好きな焼酎もたばこも、そんなに入れるのというくらい従妹は入れてあげました。
もう直とあちらの世に住んでいる親戚一同への土産になるなあ…と従妹の優しさを見つめていました。
従弟は享年70でした。 ここんとこ、別れが続き、ちょっと辛いです。仕事も川柳も待っているから、しっかりせんといかんわ。しっかりせい順子!と激を飛ばして仕事に戻ります。
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