私の週の始めの仕事は、先週の仕事実績と今週の目標、週報を作成することからです。有り難い事に、来年3月までの受注は決まっていて、月350トン以上こなしていかないと追い付かない状態です。で、元請の担当部長からも「もっと人を増やしてよ」と言われているんですが、50人以上の会社にする気はなくて、今居てくれる職人さんに無理を頼んでいます。60歳から67歳くらいまでの職人さんが8人くらいいます。みんなそれぞれに個性(根性)があって、丁々発止が面白い。ぶつかるぶつかる…お互いの言い分を聞き流さずに聞くのが主な私の仕事です。
午後3時から予約をしていた歯医者で1時間半の手術(?)を。下の歯が痩せて空いるのが、この頃笑った写真にも写るようになって思い切りました。いつものように、午後7時前に帰宅したんですが、先に帰ってた夫に「お父さん、ごめん、痛くてどうにもならん、今日はこのまま寝る」そんなこんなで、こんな時間に目が覚めました。
痛み止めも飲んだし、朝までは時間があるので、歯にまつわる生母との思い出を。
実は、生母と別れた日にちは誰にも聞けなくて、聞けないままに父も亡くなりました。ただ、私の七草のお祝いには生母はもういませんでした。でも、別れの日は、はっきり覚えています。父の長男兄がお店をしていました。お店の前がバス停でした。生母は下の妹を負んぶしていて、妹は余所行きの服を着ていました。生母が、お店で、グリコの「一粒で○○メートル」(岸本水府さんの作品と知り、番傘との不思議な縁を感じています)という赤いパッケージのキャラメルとアーモンドキャラメルを、私と2歳違いの妹に買ってくれました。バスに乗り込む生母に、私は「○○のような服を買って来てね」と手をふりました。
夕方になって、私は、筵に干してある落花生を畳みだしたんだそうです。大人たちは、「この子は知っているんだ」と不憫で泣いてくれたらしいですが、私に覚えはないんです。その日から、私は生母のことは一言も聞かなかったし言わなかったそうです。
私の前歯2本の乳歯の横に永久歯が生えてきて、祖母が4本とも抜いてくれたんだそうです。何でも祖母のお父さんという人がお医者さんで、祖母は村の人の軽いケガや病気は治してあげてたそうです。その時、私は始めて「おかあちゃん、おかあちゃん」と大声で泣いたんだとか。「もう少し大きくなったら歯医者に連れて行かんとならんな」と言いながら、回りにいた大人たちも貰い泣きしてくれたんだとか。
「じゅんこにアメやろか、はがない、はがない」という歌が出来るくらい、私はずっと歯が生えなかったんですが、不思議(神様の慈悲?)と生えてきてくれて、でも、あまり丈夫な歯ではなかったらしく22歳の時に欠けて歯医者のお世話に。時が立ち過ぎて変色してきたので、59歳の時にまた歯医者のお世話に。歯が痛くなると、大人たちから聞いた、私の覚えていない「あの日」と生母を思い出しています。
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