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遅い  報告になりましたが、10月6日、東山さん、閑雲さん、順子の三人で、豊橋駅発7時59分の新幹線ひかり号で出掛けてきました。

人、人、人でした。おトイレはもちろん行列。用を済ませて手洗いのところまで行くまでの行列の中に、びわこ番傘の徳田孝子さんたちの仲間が、「孝子さん」「順子さん」と近寄り手を握り合っての挨拶、「あ、私、まだ手を洗ってない」「順子さんの手なら洗ってなくてもいい、いい」とみんなで大笑いしながらの立ち話。そんな出会いをいっぱいいっぱい楽しみました。

もちろん、営業(?)もやらせてもらいまして、『好句往来』の12月号から3ヶ月間は男性の鑑賞ですので、新しいボーイフレンド(?)を紹介してもらいました。乞うご期待!。

新葉館出版社さんの松岡さんが見えてました。『夜明け前』も並べてくださってて、嬉しいかな買ってくださる方がいてサインをさせてもらいました。

出席者614名、各題1句出し。50句入選。東山さんが呼名できました。私は久方ぶりにずっこけました。私にしては真剣に作句して挑んだんですが、1句出しは難しいです。川柳作句の範囲は深くて広い無限大を改めて実感。 よい勉強になりました。

今日は、本郷川柳会です。資料ができました。

明日は給料支払い日と中日浜松文化センターでの川柳教室です。

月曜日(7日)の朝に、従姉妹の息子と話し込みました。お金の大事さと人は親戚でも助けてはくれないということを解ってもらいたくて、もう封印していた私の過去を話して聞かせました。

まだ、私が小学校時代のはなしです。父は和歌山県に船乗りの出稼ぎに行ってました。4番目のお母さんと父の親戚が多い土地で妹と三人で暮していました。父から送金がきて、母の妹さんの住む町へいきました。夜目覚めたら、母と妹さんが話しをしていました。母はちょうど扱いにくい年代の私に困っていたんでしょう、私の悪口ばかりこぼしていました。妹さんが「順子ちゃんはそんな子ではない」と母に言っているところでした。

翌朝早く、私は妹を連れて家に帰りました。家に帰れば親戚ばかりです。お店をしている親戚が2軒もあります。子供のことだからお店の叔母さんの家にいきました。「佐代子と二人で来たのか」というばかりで、「ひもじくはないか」とも言ってもらえませんでした。

私は学校を休んで、妹と二人で川たけのこをとり、皮をむき、大鍋でゆでました。妹に、親友の家が市場に野菜物を毎朝持っていっているので、「みどりちゃんの叔母さんの家に持っていって市場にだしてもらおう」といいました。

わたしたちがそんなことをしてるのは、叔母は店番をしながら誰かに聞いていたんでしょう。私も子供で、悔しいと思いながらもまた叔母の店の周りをうろうろしてて、その時叔母が「順子、たけんこはどうすっとか」と聞きました。「明日、みどりちゃんの叔母さんに市場に持っていって売ってもらおうと思うとる」「オバンが店で売ってやるから持って来い」

そこまでやらなければ、親戚でも助けてはくれないんだということを、従兄弟の甥っ子に話ました。二度と種子島になど帰るもんかと思いながら出てきたということも。でも、今では誰も恨んでいない。根性を育てて貰ったことに感謝している。今の私があるのは種子島時代のお陰だということを。

だから、仕事の忙しさと感傷とで、なんとも忙しい日々を送っています(笑う)



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番傘川柳本社創立105年記念全国川柳大会”にコメントをどうぞ

  1. 祥司 on 2013年10月9日 at 9:03 AM :

    順子さん
    <でも、今では誰も恨んでいない。根性を育てて貰ったことに感謝している。>
    「う~ん・・・・」人生ドラマですね。
    宮藤官九郎ならどんな脚本にするだろう。「おしん」でなく「あまちゃん」で作ってほしいものです。

    多忙が薬のようですがお身体ご自愛を。

  2. たかこ on 2013年10月9日 at 3:42 PM :

    順子さん
    順子さんが「おしん」以上の苦労をされたことは何度かお聞きしていますが、順子さんの「顔」にはその苦労の「苦」の字が全然刻まれていないことを、改めて思いますます尊敬します。
    それは全てを心から許されたからなのですね。
    晩年は、誰より幸せな日々であること請け合いです。

    番傘100年のときもわたし、感想を頼まれたのではないかと記憶は定かではないのですが、今回頼まれ、書いて誠さんに添付で送ったところです。
    10月は、三重の大会、きぬうら、亀山、郵政は富山と続きます。気候が変で着るものにも迷います。でも、元気で参加できることに感謝、感謝です。

    • 鈴木順子 on 2013年10月9日 at 6:50 PM :

      祥司さん、たかこさん、
      私は、自分がお金を借りる時の辛さを知っているから、本人の為にはならないと思っていても、言ってくると、つい情で貸してしまう。ほんに情けないことです。

      昨日午後3時を過ぎてから、インターネットで通帳残高を調べたらヤマトクレジット‥‥という名で振り落されている、覚えがない。
      銀行に電話をしたら調べるのに時間がかかる、と言います。
      で、今日の午後二時過ぎに電話連絡をお願いしました。
      電話番号を教えてもらったので掛けて見ると、YSD商工‥というところの依頼だという。そんな会社も知らない。ヤマト‥‥は代行をしているだけだからYSD‥という会社がどういう会社か分からないといいます。
      その会社の電話番号を教えてもらえませんか、とお願いすると、時間はかかりましたが、電話番号を教えてくれて担当が▲▲さんと●●さんと書いてあります。▲▲さん?聞いたことがあるような??。
      御礼を言って電話をきり、教えてもらった電話番号にかける。
      留守電で「損保※※※‥」   労災上乗せ保険を保険やさんのアドバイスで掛け金が安くなる上に、月払いでいける所に変えたことを思いだす。
      8月に契約、長年の担当者に▲▲さんがついて来たことを思い出す。
      長年の担当者に電話をかけ確認をすると10月からの支払い開始。
      どうして契約をした保険会社の名前で落さないのかねぇ‥。一言こういう会社名で落とすと言って欲しかったし‥。複雑な仕組みにちよっと振り回されました。
      退屈しない日々です(笑う)

  3. 閑雲 on 2013年10月9日 at 8:04 PM :

    こんばんは。
    いろいろ人生もプロになるとありますね。
    大会などに順子さんとご一緒すると、そこには川柳講座の講師の順子さんはいません。川柳人の順子さんがいます。泥くさいほどの川柳人だと思っています。
    なぜ、あのように自分を煽っていろいろな人脈が築けるのでしょうか。あのように駆り立てるものは何なのでしょうか。未熟な自分はいまだに順子さんを支えられていません。この無力感はなんだろうか。
    だが、順子会長で当会は紛れもなく回っているのです。もうちょっと僕も泥くさく川柳人めざして、、、、
    余計なことばかりですが、また、お話を聞かせてください。

    • 鈴木順子 on 2013年10月10日 at 6:16 PM :

      閑雲さん、
      6日は、自分の再会を喜び合うことばかりに神経がいってしまっててごめんなさいね。
      閑雲さんも逢いたい人がいたでしょうに‥。ごめんなさい。
      私が初めて番傘の大会に出席した時に、東京港番傘の長野清子さんに、「お姫さまみたいに座っていてはだめよ。高いお金と貴重な時間をかけてきているんだから動きなさい、友達を作りなさい。カラオケも歌いなさい」と言われました。ホントにそうだと思い実行しています。
      そうしているうちに、懇親宴では、司会者を助けている方が「田頭良子さんから鈴木順子も歌えるからと聞いたので‥」と、カラオケも歌わせてもらえるようになりました。
      田頭良子さんには、「口紅が薄い、早く化粧を直して来なさい」などと叱ってもらった思い出があります。
      また、句会の事などいろいろと助けてください。

  4. 江畑哲男 on 2013年10月9日 at 8:25 PM :

    順子様
    番傘105年記念大会での再会、嬉しく存じました。
    結局立ち話程度しか出来ませんでしたが、顔を合わせて、笑顔を交換できるということは、幸せで大切なことなのですね。
    改めてそう感じました。
    順子さんの「一生懸命生きてますブログ」(←哲男命名)は、いつも楽しみにしています。(と言っても時々しか覗けませんが。ゴメン)
    また、どこかの大会でお会いしましょう。
    有り難うございました。

    • 鈴木順子 on 2013年10月10日 at 6:36 PM :

      哲男さん、給料の支払いが終わってホッとしています。
      105年記念大会の選者さん、お疲れさまでした。
      今年は、哲男さん選者の大会に出席することが多いは。年上の女(なんのこっちゃ)としては当たり前のつとめか(笑)
      いしがみ鉄さんを紹介してくれてありがとう!「60代コンビで頑張ろう!」が嬉しかったです。
      平成22年に夫が脳梗塞になった時に、娘の菜穂が「後継者がいないと思われたらいかんから私を役員にしな」と言ってくれて、そうしたんですが、工場の事までは菜穂に頼る訳にはいかないので、古参の従業員と従兄弟の息子とで何とか切り盛り出来るようにしなくてはと悪戦苦闘がつづいています。
      本心は(もつともっと川柳の時間が欲しい)くての悪戦苦闘かも(笑)
      超多忙ななかでのコメントありがとうございました。また会える日まで、元気でねぇ。

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