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 かなり前の現役時代の頃、ある雑誌が私のところに回覧で来た。その中に小規模病院の病院長(経営者)の体験談が載っていて、その内容がかなり印象的だった。今も記憶に残っている。自分の病院の経営がなかなか上手く行かず傾き始めたので、医療コンサルタントに相談して立て直した顚末である。
 コンサルタントの担当者は病院の財務内容などをじっくり聴いたうえで、三つの指示を病院長に出した。一つ目は毎朝の出勤は他のスタッフに先駆けて一番早く出てくること。二つ目は、自分が出勤したらスタッフ全員に挨拶・声掛けすること。三つ目は毎日トイレ掃除をすること。
 以上の指示を言われたとおりに病院長は実行した。そうしたら、半年、1年と経過して見る見る経営が良くなってきたという。噓みたいな話しであるが、真実を突いているなぁと私は思った。トップの態度がスタッフの士気を高めて組織の雰囲気をがらりと変え、経営が改善された訳である。ドラマみたいな感じもするが、実際にこういった行動をとれるものではない。病院長の感想としては、早い出勤とスタッフ全員への挨拶はそれほど大変なことではなかったが、トイレ掃除はきつかったと本音を吐いていた。
 理想の上司という言葉が人気ドラマから生まれて久しい。今でも毎年有名人の誰がそれに該当するかのアンケート調査が行われ、メディアにランキングが発表される。しかし、これは憧れの世界を夢見るようなもので、現実の社会との乖離は甚だしいものがあろう。実際の有名人は、一般的なサラリーマンのように組織で働いてはいない場合が多い。夢を見る理想と足を着けている現実は全く次元が異なる。
 まだ若かった頃、私の出勤は毎朝定刻の少し前に職場へ到着していた。ところが、ある部署では所属長が一番早く出勤しているという噂を聞いた。1時間以上前に出て来て、仕事をする訳でもなく、お湯を沸かしてポットに入れたり朝刊を読んだりしているという。お茶汲みは女子職員が担っていた昭和時代である。私だったら、夜更かしばかりしてるので、目覚まし時計が鳴るまでしっかり寝ていようとするだろう。起床時刻までは眠れるだけ眠り、朝ご飯も早々にして家を飛び出す。これが普段の有り様だった。
 その後、私も中堅職員となり部下もいるような立場になり、翌日の仕事の段取りを夜中に考え出して睡眠に不調を来すことも起きていた。出勤時刻も少し早めになった。一応の責任感もそれなりに自覚し始めた次第である。しかし1時間も早く出勤する気にはさすがになれなかった。
 50代半ばになって配属された部署の所属長が、誰から見ても特徴のあるというか独特のキャラを持っている上司だった。まず、とにかくよく喋る。それもほとんど聞き流して構わないくらいに中味のないことをべらべら言い始める。もちろん話題は完全に脱線している。次に実務をやろうとしない。覚えようとしない。だからパソコンが不得手なままである。それを自覚しているから、パソコンを使わなければならないことは部下にやらせようとする。そうなると、部下に臍を曲げられるとヤバいと思って、いつも下手に出てくる。このやりとりを間にいる立場で眺めていると、何か珍風景を眺めているようで、どちらが上司なのだか錯覚してしまうくらいであった。
 最後に述べるその所属長の特徴は、やはり朝が早いのである。そして電気保温ポットへ水を入れたり、室内の片付けをしたりして部下が出勤するのを待っている。その日の仕事のことは考えているようだが、何かを解決するために具体的な案を練り上げるような前向きの姿勢ではない(と言える感じである)。何かの宗教を信じているのかどうか分からなかったが、新聞に載っている運勢欄をよく読み、怪しいブレスレット(御守?お呪い?)をいつもはめていた。
 所属長は何もしなくても管理職手当がもらえる。その額を聞けば羨ましく思えるが、一旦何かが起きれば責任を負わされてストレスが溜まる。朝早く出て来たからといって、その程度のことで部下は上司を評価してくれない。そんなことは業務に対して直接的には何も役立たない。齢を重ねて早起きになっただけのことである。
 冒頭に話題を出した病院長の体験談は小規模な組織だから通用したことである。何百人もスタッフがいるもっと大きなところになると、そのまま応用されないだろう。振り返って、私はそんな職場に37年間居続けていた訳である。ホンネを言えば、責任を担わない(そして何につけ言い訳が通用する)中間の立場にずっと位置していてホントによかったと思っている。給料の額に惹かれて色気を出していたら、きっと何かで蹴躓いていたかもしれない。
 私の文芸仲間に、ゴルフ場と温泉ホテルを経営している社長さんがいる。酒を飲む機会が年に数回あるが、酔いに任せて成功談や苦労話に耳を傾けると毎回実におもしい。いつも新鮮に聴いて飽きない。それは何故か。法螺を吹かない。衒いがない。淡々と自分の経験と波瀾に満ちた人生を述べてくれる。波瀾というのは決して大袈裟ではない。件の病院長の話題にも重なるようである。毎朝早く出勤していることは言わずもがなのことであろう。齢を重ねて今は大変かもしれないが、現場を回ることも無精していないようである。おそらく当たり前の感覚で日々会社経営に精励していると思う。私の働いていたところは天下りや中央官庁からの出向者など、ワンポイントの幹部が実に多かった。中小規模の病院長や社長のような全責任を真正面から担うトップや幹部はいなかったのである。

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