中学生の頃だったと思うが、国語の授業で正論と曲論をテーマにしたものを学んだ。今でも憶えていることは、教科書に載っていた3つの事例(これらの他にも書かれていたものがあったかもしれない)の曲論である。かなり記憶が曖昧になってきたが、一応以下に紹介してみる。
ベストセラーになった本は良書であるというのは曲論である。書店に並ぶ書籍について、売れる売れないの尺度と内容の良し悪しは別次元だからである。よく売れる悪書も有り得る。
泥棒は狙いをつければどんな家でも鍵を壊して侵入して来るから、玄関の施錠などの戸締り対策はあまり熱心にやっても意味がないというのは曲論である。鍵をかけるという行動を常に心がければ、万が一の事態に役立つものなのである。用心に越したことはない。
1日5人の職人が従事して6か月で完成する建築工事は、3倍の人数の15人が従事すれば工期を6か月から3分の1の2か月へ短縮できるというのは曲論である。職人の数を増やせば作業工程が単純に短くなるというものではない。工事の進捗にはいろいろな要因が絡んでいる。
中学生の頃からかなりのへそ曲がりだった私は、それぞれの曲論に対してではなく反論した正論の方に少し引っかかるものを感じていた。
ベストセラーになった本は世間で話題になるだけでなく、読むことを推奨されるケースがほとんどであろう。良書だという暗黙の判断や認識が社会的に広まっているからである。これに文句はつけられない。
一度家屋が泥棒に入られる。それに懲りて防犯対策を講じる。例えば二重ロックやセンサーライトなどを設置した家などを目にすることがあるが、こういった対策を熱心に行っても行わなくても、大体はもう二度と盗難に遭うことはなさそうな気もしてくる。一回目の災難に懲りて万全の対策を施しても、再び狙われてしまって被害を受けるケースもよく聞く話しである。
豊臣秀吉の一夜城伝説というのがあるが、構築物というのは準備を万端に整えれば工期をかなり短縮できる。経費は割高になるかもしれないが、そういう例はいくつも挙げられるだろう。
今更ながら、この正論と曲論の文章の何が私の気に食わなかったのか、改めて振り返ってみる。これらの曲論は物事を単純化して眺めているという点では、確かに曲論かもしれないが、いくらかの正論的な理屈も含まれているのではないか。反論として持ち出してくる正論にも、単純化された曲論的要素が内包されている。このことが気になっていたのである。物事や事態はそう単純なものではない。
以上、曲論を簡単に曲論として片付けたくない私の思いに基づいて、曲論をいささか擁護し、正論の危うさを指摘した次第である。こんなどうでもいいようなことを長々と書き連ねること自体が曲論だと言われそうだが…。
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