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 医療系の私立大学に長く事務員として勤めていた。配置換えによっていろいろな部門を渡り歩いた。大学組織の中で事務員という立場はある意味で空気みたいな存在である。教育は教える人間と教わる人間とで成り立っている。この両者が主役。事務員は典型的な裏方である。しかし裏方であるからこそ見えてくる、思わず見てしまうものもたくさんある。
 ある時、経営側のトップ(元某省庁のエリート官僚)が学生相手に1回だけ特別講義することになった。卒業間近の4年生が対象である。そのトップは齢を重ねて俄かに西洋哲学に目覚めたようで、何かの集まりや会食などでその方面の蘊蓄を度々披露していた。私も何かの機会でその話しを仕方なく拝聴することがあった。仕方なくというのは、一応大学で哲学を学んでいたので、西洋思想の通り一遍のことは今でも承知している。そのトップの話しに耳を傾けても、正直に申せば新鮮味がほとんどない。何か学界の通説と異なった独自の見解でも披歴してくれれば別だが、そんなものはほとんど出てこなかった。
 さて事務側として、その特別講義のお膳立ての業務に従事した。教員側も担当以外を含めて、よくは存じていないがとにかくお偉方が教室に人り授業を行っていただくということで、普段以上に気忙しく連絡調整の準備に動き回っていた。
 そしてその日がいよいよやって来た。学生約100名が聴講したが、案の定というか、熱心に受講しているような感じではなかった。居眠りをする者もいた。しかしそれは僅かだったのであまり目立たない。なんとか無事特別講義は終了した。
 配布されたレジュメの資料を見ると、ソクラテス・プラトン時代の古代ギリシャ哲学から中世哲学、それからカントやヘーゲル、サルトルの実存思想までの流れが極めて簡潔に記されていた。うーん、この程度の内容に興味を持つことは難しいのではないか。よほど奇特な人間だけだろう。
 学生時代に西洋哲学史や西洋思想史の本を何冊か読んだ。一通りの流れを学んでから、ある時、書店の店頭で高校の倫理・社会の教科書を手にして捲ることがあった。古代から現代までの思想が実にコンパクトにまとめられている。しかし中身がない。こんな上辺(うわべ)だけをなぞって哲学を学べと言われてもいささかの無理があろう。ニーチェのニヒリズムを簡潔にまとめて説明されても、「はぁ…」とため息をつくだけなのではないか。興味を持たせるにはもっと深く掘り下げないと、ニーチェの面白味、哲学の醍醐味には辿り着けない。なお、私の高校2年次の倫理・社会の授業は、担当教員が日教組の人間だったので、ほとんどやっていない。1年間、事実上のボイコット、何も教わらなかった。
 件の特別講義はおもしろくもない倫理・社会の教科書の中身を掻い摘んでさらにおもしろくもなく紹介しただけなのである。話した方の自己満足だけが残っただろう。聴く方は居眠りをしてもおかしくはない。その方が自然な態度かもしれない。そんなことより間近に迫った医療職の国家試験対策の勉強に専念したいのが学生たちのホンネだった思う。
 何十年も役人人生をやっていると、何事も教科書的な感覚で当たり障りなく学ぶという態度がすっかり身についてしまうのではないか。他人がどう考えようが、世の常識からはみ出て自分なりの考え方によって独自の価値観・世界観を構築するような、俺は俺だという立場からの発想など持てなくなるのではないか。公僕の悲哀を感じた次第である。いつも暢気そうに自室で国会中継を眺めていたトップの姿が改めて思い浮かんだ。

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