我が家の裏庭にある柿の木については、「柿食えば… 」(2022年11月21日)や「柿の不作」(2023年11月21日)でいろいろ書いてきたが、今年の春、この木が枯れて死んでいることを知った。
5月下旬に町のシルバー人材センターに庭木の剪定作業をお願いした。同センターも人材不足でなかなかすぐには来てくれない。ようやく予約できて久し振りに2年分の剪定をやってもらうことができた。梅や梅擬、山茶花、木瓜、柊、花水木、伽羅、真柏、松、榊、柏、皐月、百日紅…、いろいろあったが、すべてがぼさぼさ頭(ちなみに栃木弁では「ぼさっか頭」と言う)のようになっていた。これらがすべて刈り込まれて、どれも床屋へ行った後のようにサッパリした表情になっていた。
半日かけてほとんどの作業が終わった。一つひとつの樹木を順番に作業班のリーダーの方と確認していると「この柿の木は枯れていますね。根元から伐採してもいいですが、このままにしておいても当分は大丈夫ですよ」と言われてびっくり。枯れているとは全く気がつかなかった。
確かに例年なら、光沢のある柿の葉が何枚も生えている頃なのに、下の写真のとおり、冬木のような枝ぶりだけを見せている。愕然とした。
この木の樹齢はおそらく私と同じくらいかそれ以上。70歳前後だろうか。毎年、秋になれば柿の実をしっかり実らせてくれていた。うーん、もう駄目か。あの世で亡父と亡母が「枯れっちまったか。しょうがねえべえ」(栃木弁)と呟いているかもしれない。
毎年のようにアメシロ(アメリカシロヒトリ)にたかられていた。原因は、塀を隔てた北側に梅林があり、そこから何匹も侵入して来るのである。そのたびに何かの棒先へ襤褸布を巻き、それを灯油に浸して火を点け、憎き者共を焼き殺していた。田舎なので、梅林の所有者にあまり面と向かって苦情は言わない。何でもお互い様の付き合いである。黙って対処していた(私の担当)。
木々の寿命について考えてみた。14年前に父親が亡くなると、その年の初夏に、大切に毎年剪定の手入れをしていた松の木が2本、毛虫にやられて枯れた。これもブログに書いたことである。人間が天寿を迎えると、それを追うように庭木の寿命も尽きるような気がしてくる。枯れた柿の木について言えば、一昨年老母が亡くなっている。
今年は灯油でアメシロ退治しなくて済むのかと思うと少し楽な気持ちにもなるが、柿若葉が見られないのは残念である。ちなみに私は柿の葉寿司が大好きである。新幹線ののぞみに乗車しては、お酒を飲みながらよく食べる。あの仄かな葉っぱの匂いが心地よく感じる。生まれ育った自宅にいつも柿の木があって親しんでいたからだろうか。

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