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 いきなりですが、この画像は何に見えますか?
 昨年、当時5歳だった孫娘が遠路はるばる我が家にやって来て、栃木のじいじへのプレゼントとして茶の間で折ってくれた折り紙である。答えは「新幹線」。よく見ると、なるほど新幹線の先頭車両に見えてくる。まっ、親バカならぬ爺バカと言われれればそれまでのお話しではあるが、こういう初歩的で素朴な折り紙作品には妙に想像力を掻き立てるものがある。
 眺める方の想像力を掻き立てるには、最初に考案した方の閃きがある訳であるが、その根本にあるのは妄想力なのではないかと考える。
 想像は妄想がベースになっている。被害妄想などの言葉のように、妄想には負のイメージがつく場合が多いが、健全な妄想は想像に発展して創造的な世界を生み出す。
 私は川柳における妄想レベルのヒント探しが作句の原動力になると思っている。それは空想に通じるものでもあるかもしれないが、空想に内在している憧憬的な、願望的な意味合いは取り除いた方がいいだろう。観察力が試される川柳にはなるべく冷静になろうとする姿勢が必要であり、憧れや願いはあまり必要ではないのである。
 句を詠むうえで、対象に向き合いながら妄想を働かせる。そして想像の世界へと飛び立っていく。そこから何かのヒントが降りて来れば、後はどう五七五に落とし込んで加工するかだけの作業となる。
 出来上がった作品に対して、それを解釈して鑑賞しようとする読み手の態度に必要なことは何か。それは好意的に接することだけだろう。悪意を持って句を貶すことは、赤子の手を捻ることと同じくらい簡単なことである。妄想を持った詠み手と好意的な読み手は川柳という作品における車の両輪である。一方だけでは川柳は成り立たない。

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