どうして人間は毎日忙しいのだろう。これは半分噓だと思う。
以前、散歩しながら携帯ラジオを聴いていたら、労務管理を専門にしているコンサルタントの人が、なぜ日本人は残業をしたがるのかということを話題にしていろいろ説明していた。
耳を傾けながら驚いたのは、まず最初に、定時の午後5時に帰宅してもやることがないから残業しているのだと、きっぱり話したことだった。さらに、姑と折り合いが悪い、子供が反抗期で手が付けられない、旦那の顔を見たくない、と理由が挙げられていく。だから家へは早く帰りたがらない。そして職場にいるだけで残業手当がきちんと割増し計算されて支給される。これが安月給を補ってくれるのだから、残業は魅力的なものである。
業務が多忙だからたくさん残業するという至極真っ当な議論に隠れて、こんな裏事情も確かに潜んでいることは否めない。私のような公益的な団体に長く働いていた経験では頷ける話しばかりである。
現役時代のことだが、早く帰宅しても既に姑が夕飯の準備をしてくれているので夕刻の定時に帰る必要がなく、いつも居残っている女子職員がざらにいた。定時までは適当にお茶を濁したような勤務ぶりで、時間外になるとそこそこきちっと仕事に向き合う。
いわゆるデスクワーク主体の一般事務とはこういうことが可能なのである。お客を相手にする窓口業務は数を捌く部門であるため、必要と認められる事後処理以外の怪しい残業は発生しない。お客がいなくなっても職場に居残る理由がないからである。
私が若かった頃にはこんなことをやっていた。他の課からいろいろな業務依頼があり、電話などでやりとりすることがしばしばあった。相手からの話しの最後には「お忙しいところ申し訳ありませんが…」という枕詞が付いていた。その依頼が自分より若い後輩からだと「忙しくねえよ(ないよ)」とからかって請け負うことがよくあった。へそ曲がりな私はどうしてもそういう軽口を叩きたくなるのである。後輩の方は、内心啞然としていたと想像される。
人間は何故いつも誰かにせっつかれるようにして、忙しなく生きていないといけないのか。うーん、どうもそこら辺りは議論していくとかなり胡散臭いところがあると思う。私はどちらかというと仕事の計画性、スムーズに物事が進む段取りをいつも重要視していた。一度遂行した業務については、反省点や改善点を自分なりに必ず総括して、次回はより合理的かつスマートに出来るように考える。まっ、これは当たり前のことだが、前回の轍を踏んでだらだらと同じようなやり方で仕事をやつて、挙げ句は残業するようなことが大嫌いだった。そそくさと定刻には帰宅して、川柳のことを考えたかったのである。
今の世の中は、過労死などの労働問題が依然として騒がれている。働き方改革などということも盛んに言われた。ブラック企業もまだまだ存在する。でも、少なくとも公益的な職場とは今でも所詮そんなものではないかと思っている。
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