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 ChatGPTと呼ばれる生成(対話型)AIのことが盛んに話題となっている。Microsoftの情報検索サイトBingにはこれがツールとして標準装備されていて、誰でも気軽に使えるようになった。一度でも使った方は多いのではないか。
 私もやってみた。エゴサーチとして、三上博史プラス川柳を入れて質問すると、そこそこの回答をしてくれる。概ね間違ってはいない。さらに、三上博史がどんな川柳を詠むかと尋ねると、これは完璧に間違っていた。拙著「川柳の神様Ⅰ・Ⅱ」の鑑賞作品をいくつも自作として紹介しているのである。これは相当まずい。
 さらに「川柳を詠んでください」と試しに質問したら、毒にも薬にもならない代物の作品をいくつか提示された。しかし今後の進展はどうなるか分からない。このままのレベルで推移することはまず有り得ないだろう。
 検索サイトやスマホの翻訳機能を使って、たまに英文などを和訳してもらうことがある。日常会話レベルだと回答にほとんど問題はないが、ちょっと難しい文章をコピペして翻訳させると、意味不明なところが出てくる不完全な文章になることが多い。でも大意は間違っていないから、それだけでも重宝する。現行のChatGPTでもいくらかは便利さと有り難さが感じられる。それだけでもメリットだろう。
 メディアでこのツールへの批判や問題点が著作権なども含めていろいろと浮き彫りにされているが、開発者は今後さらに莫大な経費をかけて機能を向上させ、将来的には途轍もなく便利なものとして利用されることは間違いないだろう。30年近く前にインターネットが普及し始めた時、そのレスポンスの遅さに誰もがイライラした。しかしその後のCPUの進化には驚くものがあり、「インテル入ってる」のキャッチコピーがテレビのCMで盛んに流された頃には、画像の動きなどもかなり滑らかに展開できるようになっていた。想像していた以上の速さで技術が進歩した、そういう印象を当時の私は持ったものである。
 今後驚くべきスピード感を持ってなされていくだろうChatGPTの機能向上は、短詩型文芸に対してどのような影響を与えるだろうか。既にAIで俳句が詠まれていること(「一茶くん」など)は承知しているが、短歌や川柳も含めてAIで詠めるようになり、それが手軽に実現する時代がいずれ来ることだろう。
 さて、再び桑原武夫の第二芸術論を持ち出してみる(桑原武夫の第二芸術論 | 三上博史ブログ (shinyokan.jp)2020年6月25日)。将来的にChatGPTがもっとお利口になった時、この論文で試されたやり方を真似して、著名歌人・俳人・柳人の秀歌・秀句とAIが詠んだ作品をジャンルごとにシャッフルして、一般人にどれが優れた作品だと思うかを選ばせたら、どのジャンルでもAIチームの方が勝ってしまったなどという事態が起きるかもしれない。
 AIはアルゴリズムとかディープラーニングとかを得意としているが、創造的なことは何も出来ない。などとかつてよく揶揄された。しかし、そもそも「創造的」って何なんだろう。そう考えたくなる。少なくともAIに創造性があるような錯覚を感じることはあるのではないか。
 最後に、私が中学二年生の時に体験したことを話す。当時大阪万博があって、夏休みに栃木から貸切バスに乗り、2泊3日の見学旅行に出かけた。既に東名・名神高速道路は開通していたが、何時間も車中で過ごす行程である。歌を歌ったりゲームをしたりして時間を潰していたが、ついにネタも尽きてしまった。最後にバスガイドさんが雑俳をやりましょうと提案した。中二の私には何のことか最初は分からなかった。
 各自に紙片(句箋)を配って、何でもいいから思いつくままに、上五・中七・下五の言葉をそれに綴ってもらう。そしてガイドさんがそれら回収してそれぞれにシャッフルする。無作為に1枚ずつ抽出して組み合わせる。そしていよいよ発表(披講)。そうすると、ほとんどの作品がそれなりに不思議と五七五の俳句になっていて、車内の雰囲気が大いに盛り上がった。みんなで協力して出来上がった作品の偶然性を面白がったのである。AIなんて概念がなかった時代、あったとしても夢のように思っていた頃、こんな素朴なゲームを楽しんでいた。もう元に戻れない今から思うと、素直に懐かしい。

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