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 コーラを初めて飲んだのは、小学4年生の時だった。今でもはっきり憶えている、いささか恥ずかしい体験でもあった。
 私の住んで育った栃木県壬生町には、輸出玩具工業団地、通称おもちゃ団地というのがある。今は工場数もかなり少なくなってきたが、かつては盛んに玩具を製造して海外に輸出していた。
 当時私はボーイスカウトに入団していた。東京から引っ越して来た某有名玩具メーカーの社長さんが団長をされていて、その方の家にある日何かの用で数人のスカウトが招かれることがあった。そこで初めてコーラを目にしたのだった。このこげ茶色の炭酸飲料がテレビのコマーシャルでやっているコーラというものなのだと分かった。当時のテレビは白黒画面が当たり前、コーラの色もよく知らなかったのである。
 東京から来たということで、もの凄く上品で美しく見えた社長の奥さんがコップに入れたコーラを振る舞った。みんなわくわくして喜んだ。私も飲んだことはないのにそれに合わせて喜んだ。ところが口に近づけて飲むと変な薬くさい臭いがする。炭酸も強い。一口二口飲んで、それ以上はなかなか喉を通らない。私以外はみんな美味しく飲んで、最後まで飲み干している。私の動作に気がついた奥さんは、代わりに炭酸入りのオレンジジュースを持って来てくれた。しかしコーラの衝撃があまりにも強く、このジュースさえもやっと飲めたという状況だった。
 私はみんなより流行に遅れていた。確かに地味な家庭で生まれ育って、母親がコーラの瓶を買って来てくれそうもない暮らしぶりだったのである。家には冷蔵庫もなかった。もっとも、冷蔵庫がある家も当時はそもそも少なかったが。
 この初体験コーラ赤っ恥事件の汚名を返上するために、それから何とかコーラが飲めるよう私なりに努力して実地訓練を始めた。そもそも自分が炭酸飲料にあまり慣れていなかったことに気がついて、親にサイダーを買って来てもらい飲むようにした。駄菓子屋ではラムネが売られていた。これは瓶入りの飲み物としては比較的安く、毎日のお小遣いでも買えた。今でもはっきり憶えているのは、行きつけの駄菓子屋のラムネは、サイダー味、オレンジ味、コーラ味の3種類があって、サイダー味、オレンジ味と舌を馴らしていってコーラ味に行き着いた。さらにそれからようやく200cc程度の瓶入りのレギュラーサイズコーラも飲めるようになった。やっと一人前になったのである。その後は250ccの缶入りも飲めるようになった。350cc入りのアメリカンサイズの缶は、その後大人に近づいた体格になってから飲めるようになった。
 たかがコーラのことだが、これを飲めるようになるまでには自分なりの道のりがあった訳である。大袈裟だが、人知れぬ努力があった(笑)。今は高齢者となり、コーラはあまり飲んでいない。飲む気もさほど起きない。そもそも缶入りもペットボトル入りも飲み物はあまり飲まない。自宅で、自分で淹れた熱い緑茶と薬缶で作って冷蔵庫に冷やしている麦茶、それに牛乳と砂糖をたっぷり入れたインスタンスコーヒーなどをよく飲む、そういう地味な毎日を送っている。その地味さは子供の頃に戻っているようなところがある。

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