阪神淡路大震災や東日本大震災などの歴史に残る自然災害が発生すると、各地の総合病院では災害派遣医療のチームが結成されて現地に送られる。DMATが有名であるが、それとは別に各病院単位のボランティア的組織も立ち上がる。私は私立医大の事務員として長く勤務していたが、東日本大震災の時にたまたまボランティア的組織に基づいた医療チームの結成・派遣をコーディネイトする業務に携わった。その時の経験をもとに医療についての一面を書いてみたい。
東日本大震災が起きた時は3月だったが、いわゆる事務仕事の年度末処理が待ち受けている時期でもあった。おまけに私が所属していた部署では年度切り替えによる大幅な定期人事異動があり、異動対象とならなかった私がその時の混乱を一手に引き受ける役目を担っていた。要はただでさえ忙しいのに、震災の所為で災害派遣医療の業務を更に上乗せしてやらざるを得なかったのである。震災は悲惨なものであったが、私の仕事も相当きつかった。
さて愚痴をこぼしている暇もなくチームの結成・派遣、これに係る打合せ、事務処理などの業務をこなさなければならない。チームは医師・看護師・薬剤師等が主体となるのだが、病院の中堅幹部と若手スタッフとの間で、災害に対する医療支援の認識の温度差がかなりあることに驚いた。中堅幹部は、派遣も大事だが今所属している病院の通常診療業務をきちんと遂行することがまず大切であるという考えの者が多かった。派遣への慎重論である。若手職員の方は一刻も早く現地へ向かって行き、病気になった被災者を助けたいという思いの方が強かった。人助けに熱い思いを抱いていたのだろう。この二つの考えの中でうまく派遣をコーディネートしなければならず、ジレンマに陥ることもあった。医療専門職のプロ意識とはこういうものだったのかということを改めて思い知ったのである。災害派遣医療がテレビドラマ化や映画化されると、おそらく割愛されるであろうという意外な側面である。医療支援と言っても事程左様にすんなり物事は運ばない。一致団結などというが、実際には一筋縄ではいかないことが多いのである。特に福島第一原発事故関係への医療支援であると、支援に伴うリスクに対する認識が更に錯綜するのである。消極的な意見を言い張る者に対して内心苛立つこともあった。
すぐに手を挙げて現地へ赴くメンバーを見ると、阪神淡路大震災で第1陣として派遣された者と同じ名前が数名(医師・看護師)いた。何かあった時にすぐに駆けつけようとする者は何度でも赴く人達なのだと分かった。
3月中旬頃からチームの被災地派遣が1週間交代で順次進められたが、当初は高速道路や新幹線も不通となっていて、現地へ行くことすら容易ではなかった。この潮目が変わったのは、私の記憶では5月の連休前後だったろうか。新幹線が復旧して比較的スムーズに行けるようになった同時期、現地での医療支援もピークを過ぎていたのである。かなりの被災者が避難所から仮設住宅へ移動し、診療業務も少しずつ減ってきたようだった。つまり、3月~4月と5月以降ではかなりの違いがあったということである。
私は現地へ行っていなかったので単なるコーディネート役として情報収集をしていただけだが、今回の歴史的な出来事に災害医療支援という立場で関わり、非常事態の時に人を助ける側の心理とはどういうものなのか、そしてどういうふうにそれが変化していくのか、そういったことが少し離れた立場にいたことで客観的に理解できるものがあった。もうこんな経験は二度としないだろうし、したくもないが、いい社会勉強になったことは確かである。
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