去年の11月、太極拳の初段検定を受けて不合格となった。2度目の挑戦だったが駄目だった。
定年退職したのは平成29年5月だったが、翌月の6月には地元の太極拳クラブに入会して習い始めた。最初は週1回、さらに毎日の早朝練習へと少しずつ力が入ってきた。その後1年経過して五級からの検定を受け始め、コロナ禍の令和2年に一級合格。その後は段位を目指すことになるのだが、まだ私には無理だろうと初段の受検は2年ほど保留にしていた。
令和4年の秋、初段という言葉の響きとかっこよさ、柔道で言えば黒帯を締められる立場に相当するという憧れから、一応受けてみるかとその気になった。しかしあまり練習はしていなかった。さらに検定の日の10日前には老母が急死する事態となり、それから検定の本番までいろいろと慌ただしい日々が続いてあまり身が入っていなかった。そして結果は予想していたとおりの不合格となった。
その後、何か不完全燃焼のまま不合格に終わってしまったことが気になっていた。1年近く経過してクラブ仲間から、もし初段を受けるならもっと本格的な指導を受けたらどうかと勧められ、宇都宮のクラブを紹介された。そしてそこにも週1回通うことになったのである。それから1年半、二人の指導者に結構厳しく教え込まれて何とか初段受検の機会が再びやって来た。
これで最後にしようと受けてみたが、駄目だった次第である。私以外の仲間はみんな合格したようだった。うーん、私の能力の問題か練習不足か。どちらも該当しそうである。
不合格後は地元のクラブだけに通うことにして、宇都宮の方は退会した。これからは太極拳を健康体操として楽しもうと考えている。もう検定を受けるつもりはない。
宇都宮のクラブで検定を受けるために厳しく丁寧に指導されていた時は、一つひとつの動きで注意を受けてはその度に緊張していたところがあった。初段という目標が消え、壬生のクラブだけでみんなと楽しむように練習をやってみると、宇都宮で動きの所々を細かく説明された教えが脳裡に浮かんでくる。それが苦いものとは感じられない。まだうまく身に付いていないことを改めて実感し、素直に直そうとする自分がいる。ある意味では好きなように伸び伸びできるようになった気もしている。健康体操としての太極拳ならこれからも続けられると思っている。
憧れだけで初段を受け、仮に合格したとしてもさらに二段を目指すような気は私にはさらさらなかった。初段に合格した他の仲間たちはみんな熱心な人たちばかりで、さらに精進して次の二段の昇段検定もいずれ受けることだろう。ほとんど言い訳のようになってしまうが、そもそもの段階から私の考えは甘かったのである(と今では総括している)。
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川柳マガジンに投句してた頃『川柳道』コーナーがあって、たしか入選するとポイントが付いてポイントが溜まると昇級していくのがありました。(今もあるのかな?)
私は初段で投句を止めましたがそういう意味では初段は区切りになっているかもしれません。
しかしながら川柳は本来こんな◯◯道とか昇級などといったものとは距離を置いた、もっと言えば無縁の文芸ですから、気にせず人生の楽しみとして末永く付き合っていけば良いと思っています。